Tuesday, June 01, 2004

一時帰国

Graziaのアパートから出ました。すこし感慨深い。いろいろあったけど、Graziaとの生活でいいところも悪いところも含めて、お世話になったなあ と思う。ボンに居るとき、あるお店で、グラツィア家の電話と同じ着信音の電話があった。その音を聴いた瞬間、気持ちが悪くなってその場に居られなくなって しまった。自分でもこの身体反応に驚いた・・・。嫌悪感ではない。ただ、彼女の家に居る時間ずっと、毎秒、緊張していたと思う。音を立てないように、何か 壊さないように、ピサの生活に支障が起きないように・・・。でも、皮肉でもなんでもなく、イタリアから出国する前に一度電話をして、お礼を言おうと思う。

Thursday, May 27, 2004

Bonn


ボンから帰ってきました。

ボ ンには4日間の滞在だったけれど、本当に行ってよかった。N.ルーマンがなぜ、現代化に注目し、政治制度のシ ステム化について重点的に語り、時代の変化 に敏感であるのか、ということが、裏づけできる滞在だった。百聞は一見にしかず。破壊と再建を経験した社会でなければ彼は社会システム論という思想を抱か なかったのじゃないか。彼の原語著書も激安で(というか現地で購入だから当たり前だけれど)購入できた。

Thursday, May 20, 2004

ちなちゃん!

I got a new niece on 20th May...! :-D :-D :-D :-D Her name is China. ...Ok, dear my foreign frinds, it is Not "CHINA" as a country... ちな, desu. I cannot wait for meeting her, welcoming to this world in June! :-D

Sunday, May 09, 2004

Viaggio


晃子と木曜ー金曜と1泊2日の旅行に行ってきた。行き先はラヴェンナとボローニャ。電車でピサから4時間半ほどのところ。
1番のメインはラヴェンナ!小都市なんだけど、5ー6世紀のモザイク美術(ビザンチン文化)の宝庫といわれ、ダンテが神曲を書き上げた町。町中にモザイクが溢れていて本当に言葉が出ないほど感激した。
夜 はラヴェンナの郊外にあるホテルに泊まり、翌日はボローニャへ。私はボローニャの町が本当に気に入ってしまった!ローマ、ミラノなんかよりとても落ち着 いていて、大きさも程よい町。フィレンツェはルネッサンス美術の街だけど、ボローニャは学術の街という雰囲気をひしひし感じた。私のメインの関心事は、世 界最古の大学「ボローニャ大」で、創設された11世紀から18世紀に他の建物に移るまで使われた旧大学。今は、当時からの文献が収められている図書館が あってボローニャ大学の研究者だったら入れるらしい!世界最初の人体解剖が行われた解剖室は無料で市民に開かれていていつでも見学ができる。本当に本当に 好きな街だった。

*** Buon Viaggio ***
Sono andata a Ravenna e Bologna con Akiko. Siamo partite al mattina di Giovedi, e tornate ieri sera. Uno dei nostri proposti per quel viaggio e' stato l'arte di mosaici a Ravenna. Infatti, era incredibile di guardare i tutti dipingi mosaici che hanno cicra 15 secoli di vita, e sono dovunque nella citta'!
E poi, mi piacuito Bologna tantissimo, poiche la atomosfera nella citta' di Bologna mi ha dato un sentimento della stroia profonda di accademia. C'e' la bibliotecha che hanno i libri piu' di 20,000, rimanendo dall'epoca in cui fu fondata l'universita' di Bologna nel 11 secoli. Si dice che quella e' l'universita' piu' vecchia nel mondo.
Fino adesso, sono stata alcune citta' in Italia, e poi, posso dire che Bologna e' una delle citta' favorite per me.

Tuesday, May 04, 2004

グラツィア誕生日


写真は左から、Patric(Americano)、離婚したグラツィアの旧夫、グラツィア、サイモン、しげ君(4月末から渡伊)。昨日はグラツィアの誕生日でした。

Patricが、深夜皆寝静まった頃に誰かを連れ込んでいるらしい、とグラツィアが、リザの時のように「き~っ!」となっている。それがしかも女の子を、じゃなくて男らしくて、「ホモなのよ~!」と。本当かどうかわからんが、もうどっちでもいいよ、本当、疲れるし。笑

しげ君は東京出身で、イタリア語習得のために語学留学だそうです。日本人極少のピサで、アパートが一緒になるなんて本当に奇遇!

Sunday, May 02, 2004

和食2


ピサで日記を書いているのに、一度も登場していなかったピサの斜塔。でも実はこの写真も、昨年の10月に聖アンナに入学許可書をもらいに来たとき取った写真。既にあまりにも日常生活化してしまってわざわざ写真を取ることもないんだよね・・・東京タワーと同じ?笑

今日は、再び和食がすごく食べたくなったので、和食ランチをした。
実は今、グラツィア家にもう一人の日本人の男の子(しげくん)が入居して、彼が炊飯器を持参したので(!!)、日本米での和食でした。いや~美味しかった!

というわけで食べたもの♪
1)肉じゃが(私作)
2)ひじき煮(私作)
3)ほうれん草の胡麻和え(私作)
4)牛焼肉(焼肉のたれ付)
5)味噌汁(晃子作)
6)白米

ああ~でも寿司食べたいいいいい(T_T)

Friday, April 30, 2004

Updates

えっと。
(1)グラツィアに、5月末で部屋空けてといわれました。とはいっても、リザみたいな問題があったんじゃなくて「6月15日ちょっと前ぐらいで出るよ」と 1ヶ月前に言ったら、「何日に出ても半月分は請求するから」と言われ、「OK」と言っていたのに、「6月1日から部屋が空くって張り紙だしちゃったから誰 かきたら出てね」だって。
誰か来たら、って言って6月に入って「人が入ることになったから明日中に出て」とか言われてももっと困るので、5月末でもう出ることにしました。授業は6 月3日で終るから、クラウディアのところに4日間ぐらい居候させてもらって、そのあとミケレの実家に数日居候させてもらって、で、帰国。

(2)5月下旬にドイツに行きます。マントヴァに1週間滞在した後、ボンに4日間滞在。ミケレが学会発表で渡独するので宿泊費が要らないのです。聖アンナ のHenry教授も丁度同時期ドイツに来るかも、ということで、向こうでの研究所をもしかしたら?紹介してもらえるかも・・・!それから、 Amazon.comで買っても高いドイツ語文献、沢山買ってこよう・・・。

(3)滞在許可書を無事もらいました。ま、遅かれ早かれもらえるものだけど、晃子の場合は7ヶ月かかってたから、それと比べるとすごく早かった・・・!これでイタリア国内国外移動が法的にOKになりました♪

さて今から講義です。

Sunday, April 25, 2004

マンマグラツィアのケーキ


グラツィアがケーキを焼いてくれたので。とはいっても私の誕生日用!という訳じゃなくてたまたま日が重なっただけだったんだけど。笑

美味しかったです。

Saturday, April 24, 2004

誕生日


誕生日は晃子とピサ近くの海に散歩に行きました。っていっても、20km以上はあった・・・(-_-;)3時間歩いて、帰りはさすがに無理なのでバスに乗ったら20分でピサに戻っちゃいました。なんだよねー

写真は海の写真。

Tuesday, April 20, 2004

知恵

日記なのであまり深く研究に関係したことは書かずにいるんだけど、実はすごーく忙しい @_@;  東京にいたときより忙しい。なぜじゃ。あっというまに1週間が終る。聴講している授業の合間に文献2冊は読破したけど問題は残りの1冊だな。がんばろ

得た生活の知恵。
ご飯作っている時間がもったいないので、野菜は一度に大量に煮とく。人参なんかすごく便利。
スパゲッティは長いままじゃなくて、2~3cm幅に全部割って煮ると、煮あがる時間が短縮できて便利。
スーパーには最小の回数だけ行って最安価のものだけ生きたのびたいので、一度いったら最低5kgぐらいはもって40分かけて徒歩。運動にもなるからいいかも。車があったらもっと便利だけど。チッ

Monday, April 19, 2004

BOMBA

英語でBomb。イタリア語でBomba。日本語で爆弾。何でこんなタイトルかっつうと、昨日午後授業に聖アンナに出てきたらガードマンが門に立っていて、

「今日は誰も入れない」。


「なぜ?」



「それは言えない。でも一人も中にはいない。全部閉まっているからだめだめ。警察が中にいるんだ」



「け、警察?結構シリアスなことですか?犯罪とか?」


「それは言えない。でも今日は閉まったから。」


・・・・(立ち去る私)。



んで、今日ヘンリー教授に聞いてみたら。













「あ~、なんか誰かがね警察に聖アンナに爆弾仕掛けたって電話してきたんだって」


















!!!!!!!!!! そ、そうなんだ・・・。
結局Bombaなんか見つからなくて、誰かの冗談だったみたい。











この話には落ちがある。ミケレに早速伝えた。「え~~~~~~~っ!」っていう反応が返ってくるかと思っていたのに、



「あ~、そっか、テストがあったんだ。」







??????
はいっ?







「よくあっったな~、ヴェローナ大学でも。テストの日になるとまだ準備できてないやつがそういう電話かけて延期させるんだよね」



・・・・・・ひ、必死の「悪」あがきだね・・・・。
(でも聖アンナはテストなんかまだないんだけど。)

Saturday, April 17, 2004

ボッティチェッリ

今日は、友達達と連れ立って、フレンツィエのウフィッツィー美術館へ行ってきた。イタリア人8人、トルコ人1人、そして私の総勢10人だけど、私は美術館 は一人でじっくり見たいので、美術館到着後は単独行動。ウフィッツィーにはボッティチェリの「春」と「ヴィーナスの誕生」が特に見所!そのほかラファエロ もダヴィンチもミケランジェロもあるけど、やっぱりルネッサンス誕生した街フィレンツェの、その当時の画家(ジョットとか)の絵が沢山あって、メディチ家 の宮殿の中をそのまま美術館にしていることから建物にも楽しめるし、とてもよかった。フィレンツェの歴史をちょっとだけだけどかじってから行ったのでもっ と楽しめた!

Wednesday, April 14, 2004

Media in Italy

イタリアのマスメディアは日本のマスメディアよりも報道規制がゆるいのかもしれない。何か事故があったり事件があったりした際、見るに耐えないような映像(黒こげまたはバラバラの死体とか)をテレビで、普通の夕ご飯の時刻でも放映する。

今回の日本人捕虜に関しても、イタリアのテレビでは、日本で映像されていたもの以上が放映されてた。ナイフを実際に突きつけられて顔を覆って泣いている  さんなど・・・。でも、その割りに、イタリア人も4人捕虜にされて、その映像が繰り返し繰り返し流れているけど、ニュースで見るような日本の「自衛隊派遣 反対
運動のような反応が、イタリアでは見られないんだよね・・・。

*** non si puo' fare cosi...!! ***
Questa mattina, sono andata un grande supermercato... e ho trovato che ci erano tante grande Colomba sconti perche Pasqua e' finito... Un Colomba costa solo 1 euro. Noooooo, non si puo' fare cosi... E' buono e economissimo...?! nooooo... Ne ho complato due... :$ :$ :$

Monday, April 12, 2004

パスクワ休暇

今日は一人で午後、フィレンツェにお散歩に行ってきた。繁華街が1本しかないピサにず~っといたので、久しぶりに大きな街にでてきて、あ~気持ちいい!と 言う感じ。パスクワでピサの街は全部閉まっているけど、フィレンツェは観光客でいっぱい!インターネットカフェが開いていたのでミケレとチャットもでき た!嬉しかった…

夜は、晃子とKassia(カシア)と和食のディナー。Kassiaは私の聖アンナでの友人で、日系ブラジル人。和食作るから来ない?といったら泣いて喜んでた(笑)

今日の献立は:
1)ひじきの炊き込みご飯(晃子作)
2)豆腐とわかめの味噌汁(晃子作)
3)高野豆腐(晃子作)
4)キンピラごぼう(私作:無印で売ってる携帯用乾燥キンピラごぼうセット!)
5)おから(私作:これも無印)
6)ほうれん草の胡麻和え(私作:日本からもってきた胡麻和えのもと)
7)食事中には濁り酒。食後に蕎麦茶。

はぁ~幸せだった…。やっぱりみんなと一緒に食べる、っていうのもいいんだよねえ。無印の乾燥携帯和食はすばらしい!2学期目にピサに帰ってくるときまた買ってこよう。

*** Internet Point ***
I could not meet Michele for 2days... and it was really tough for me..., no, for us.., ne? I cannot explain how happy I was to see Michele at the internetpoint in Firenze... Simply, I cannot do it... my happiness was something more than words...

Sunday, April 11, 2004

Pasqua当日


パスクワ。昨夜はグラツィアとミサに行ってきた。ところが。深夜12時にはじまって終ったのが朝4時半!グラツィアも「信じられない・・・」だって。スパニッシュギターの歌手が延々とミサ曲を歌い続ける、というちょっと変わったミサだったみたい…。本当に眠たかった…

今日はグラツィアにご招待いただいたので、彼らと一緒にランチを食べました。メニューはこんなんです:

1)アンティパスト(グラツィアが手作り)
2)ズッパ:グラツィア作のパスタ入りブロードスープ
3)プリモ:グラツィア作のラザニア
4)セコンド:グラツィア作の子羊のロースト
5)再びセコンド:グラツィア作のサラダと子羊のフリット
6)ドルチェ:スーパーじゃなくてパン屋で焼いたコロンバと、卵型チョコと、スプマンテ(甘い白のスパークリングワイン)

でも全て少量でもらったので全部食べれました♪
先月末から来ている新しい同居人のアメリカ人、パトリックは、すごい大酒飲み!で、スプマンテを一人で2本あけてた…

Saturday, April 10, 2004

シエナ


今日は晃子と、ピサから電車で1時間のシエナに行ってきた。
ピサと比べると街のサイズは大きめ。だけど、アクセスが悪いためかな(高台にあって、駅からも離れている)、町並みが中世のまま取り残されてしまってる…。イースター休みのため観光客がたくさん!快晴で、いい息抜きでした。

Friday, April 09, 2004

コロンバ


昨日の日記に出てきたコロンバ。大量に売ってます。長さ30センチぐらいかな?安いので、一つ1.5ユーロ(250円)ぐらい。

Thursday, April 08, 2004

パスクワ


グラツィアが準備した、復活祭の木。オリーブの木に、卵型、鳩、ウサギの飾り物を付けて・・・。スーパーでも卵型チョコレートが沢山!

今 週の日曜日が復活祭。復活祭、というのはキリストが復活した日を祝うもの。復活祭の前の週(要は今週なんだけど)は聖週間(Settimana Santa)と呼ばれるそう。今日は聖木曜日(Giovedi Santo)で、キリストが[最後の晩餐]をとった日、聖金曜日(Venerdi Santo)はキリストが十字架にかけられた日、前日の土曜日は復活徹夜祭(Veglia pasqule)で、ローソクの光りで復活のお祝いをするそう。

なんで、卵とか鳩なんだろう・・・?と思って調べてみたら、復活=生殖を 意味する卵や羊料理を食べるんだって。デザートにはコロンバ(colomba=雌 鳩)と言うケーキを食べるらしいのだけど、これは、クリスチャニティでは鳩が平和の象徴というところから来ているみたい。グラツィアがコロンバを3つぐら い既に買ってきたので、もう食べちゃった(笑)。これは、精霊のシンボルである鳩の型をしていて、砂糖漬け果物が混ざった生地にアーモンドスライスと砂糖 がかかっていて、ケーキというより菓子パンみたい。おいしかった!

ちなみに、英語だとPasquaはEaster。”パスクワ”と言う言 葉はラテン語の"パスカ(Pascha)”=”過越の祭り”という意味が語源と言わ れてて、キリストはこの過越の祭りの間に十字架に張り付けられ死し、復活したと言われているから,Pasqua。英語の”イースター”はゲルマンの春の女 神”Estera”からきてて、厳しい冬が終わり、暖かな光の中、命が芽生える春を祝うお祭りということから名づけられたそう。

Monday, April 05, 2004

イタリアでの生活便利情報みたいな本に沢山書いてあったので、蚊がすごくいることは知っていたけど、本当に最悪・・・!  日本の蚊と違って痒くならないんだけど、とにかくすごくて、昨日は文字通り、3時間しか眠れなかった・・・ (T_T)

眠ろうとすると耳元で羽虫の音!もうサイテーーー!!! 昨日の夜だけでも5匹は殺した・・・

Saturday, April 03, 2004

和食!

そろそろ来た・・・来たぁ!和食たべたああああああああああああーいっ!って、だしとかのりとか持ってるけど、違う!違うのよ~。というわけで、食べたいものリスト。

・和菓子。牛皮と白こし餡の上生菓子!これを熱い緑茶と一緒に・・・。お茶はできれば玉露がいい
・蕎麦。乾燥麺じゃなくて、神保町のまつやとか、中目黒柿の木坂の更科みたいのが食べたい
・和野菜。レンコン、ごぼう、大根、カブ、サトイモ・・・なんかの煮付け・・・。お母さんが正月に作るみたいの。
・揚げ出し豆腐。
・イカステーキ。なぜかわからないけどこれが無性に食べたくなった、おとつい。バター、しょうゆ、塩・コショウで・・・
・居酒屋で食べれる小皿系のものと一緒に、辛口のよ~く冷えた日本酒!銀座のみやこみたいなところのが食べたい+飲みたい・・・
・魚の煮付け(味噌煮と熱々のご飯!)とか、焼き魚・・・、そろそろカツオが旬だよね・・・
・讃岐うどん。しょうがとしょうゆだけで食べたい・・・

つば出てきたからもう止めよ・・・。夢だね、夢・・・。今日もパスタだ・・・。安いし・・・。

Monday, March 29, 2004

ストライキ 2


写真はMyRoomその2.

ちょっと興味を持ったのでイタリアの経営者団体と労働組合の第二次世界大戦後の変遷を調べてみた。

第 二次世界大戦後、イタリアも日本のように高度経済成長が生じて、対戦直後の労働運動がレイオフ(一時帰休)に対する保障、エスカレータ式賃金、経営参 加、生活必需品への補助金など多くの成果を手に入れた、ということ。そして、1950ー1960にかけて他の西欧州諸国を上回る勢いで経済成長を遂げた。 けれども同時に、当時与党であったキリスト教民主党が国家資源の乱用をしたため、南北の成長格差が著しく生じる原因となった。労働市場では、労働力余剰の 状態が60年はじめまで続き、労働運動が活性化する余地がまったくなかったらしい。さらに、各労働者団体が政治団体という軸に沿ってイデオロギー的に分裂 していったため、全体的に弱体化していた。それが、前述した労働市場の悪条件の改善によって、1960年代以降、労働運動が戦闘性を強め、ストライキを組 織するようになった。労組間の政治的分裂は続いているものの、結束した行動が拠り大きな成果を手に入れることができると認識するようになった。

イ タリアの労働運動はの弱点は、労組が政治的に分裂していることと、イタリア共産党が、他の西欧諸国における共産党ほど政治的に重要な地位を得ることがで きなかったこと。それでも、1970年代には「熱い秋」と呼ばれる労働運動の高まりがあり、ゼネストにより、政府・経営者との交渉権の保証、寛大な年金制 度、生産性を上回る賃金制度を持つ労働契約、超過勤務・レイオフ・工場の現代化(機械化)を行う際の労働者側の承認の必要などを手に入れた。

1970 年代後半から、イタリアは福祉国家の仲間入りをするようになったが、こうしたサービスを提供するための資金を肩代わりできるような財政は、資源を 乱用していたキリスト教民主党によるイタリア政府にはなかった。イアリアは、先進諸国でももっとも高額な労働者給付金を経営者側に支払わせることで、イタ リア政府はこの問題を回避した。が、このことは、経営者側の新規雇用へのモーティベーションの低下、より低賃金な労働者への雇用、脱税、国際的競争力の低 下などをもたらすこととなった。また、イタリア企業が政治スキャンダルと深くかかわりをもってきたことで、こうした企業に負担を強いる福祉システムも、非 公正、非効率的、高負担なシステムとして90年代まで残った。

1980年代、産業構造の変化や政治背景なども起因し、労組は弱体化し分裂 化した。反対に経営者側が勢力を回復し、1990年代に労使関係の抜本的な改革 を要求した。結果「熱い秋」に労働者側が得た、レイオフの保障と生活費の自動アップは失われた。1990年に入って、キリスト民主党の崩壊とそれに起因し ていた財政危機、EU加盟などを背景に、真剣に、赤字削減と福祉国家再編に取り組むようになる。税制改革、年金制度改革や労使関係の見直しが行われ、労働 者側に多少ならずとも以前の条件から比べると犠牲を強いるものとなった。

こうしてみると、イタリアでは労働者側が、組織的には政治的に再 分化されて結束しておらず弱体なのにもかかわらず、他の西欧諸国と比べると厚遇されてきた ように思われる。けれど、この「厚遇」が、効率的に機能している国家財政の土台を持ち合わせておらず、にもかかわらずキリスト教民主党への支持を保持する 意味合いから保障されてきたものだった、ということなのかな?ショーペロが労働者側の成功に終ったことは1970年代以降殆どないらしい、にもかかわらず 頻繁に起こるのも、ショーペロをすることが政治的・社会的に「厚遇されている労働者」のアクションとして容認されてきた、ということなんだろうか。頻発し ていることで、ストライキが持ちうる意味合いをなくしてしまっている、ということもありうるのかな・・・?

Sunday, March 28, 2004

ストライキ

写真は、新しく写った部屋の写真!前の部屋よりずっと落ち着けて、気に入ってます。

書 き忘れちゃったけど、26日金曜日はストライキの日だった。イタリア語でショーペロという。多分、イタリアに生活する外国の人だったらまず最初に覚える 単語の一つだと思う。とくに鉄道なんかは一ヶ月に一度はショーペロがある。26日は、話によるとお国をあげての全ストライキ日だったみたい。交通機関も全 てストップだし、お店も、大学の教授も大学機関も全部ストライキなので、講義もなかったしHenry教授にも(当たり前で)会えませんでした。前日に、混 乱が起こらないように街中にストライキの公告が貼られてあるんだけど、私のイタリア語レベルだとまだ、大事な広告とどうでもいい広告の見分けがつかな い・・・。

それから、今日から夏時間になりました。朝8時におきたから、今日は早起き!えらい!と思っていたら、1時間時計を進めなくてはならなかったので結局9時だった。

Tuesday, March 23, 2004

Alone...

ミケレが東京へ帰った。また一人での留学生活に戻った。がんばらなくちゃ・・・

*** Sono ancora da sola... ***
Mi manca gia' Michele tanto... Sento che sono cosi' piccolissima qui, e sono propria sola sotto del cielo di Pisa... Ripeto da sola "Forza ne, Naho, forza..."

Tuesday, March 16, 2004

夜のお散歩


写真はマントヴァの市街。こちらでは深夜に散歩に出かけるのが結構好き。ネオンがなくて、黄色のランプにボワッと建物が浮かび上がる感じ。

Sunday, March 14, 2004

300円なり



食べてしまった…、ついに…、山盛りジェラート!これで330円ぐらいなんだもん。ミケレと二人でもがんばったけど食べきれずゴミになりました。もったいなーい。もって帰りたかった!

Wednesday, March 10, 2004

カソリックの威力



ロー マに住んでいる友達(Maurizioとリカ)に会いがてら、観光してきた。ローマ風の食べ物もたべたけど、豚と牛の内臓系のものばかり。レバーとか 腸とか。ローマ風野菜炒めは大量の唐辛子を使って食べるのですごく辛かった。ちなみに、スパゲッティのペペロンチーノも、カルボナーラも、ローマの代表的 な食べ物なんだって。知らなかった・・・!でもやっぱり人類の歴史上で重みを持つ建造物の跡に実際に見て触れるというのはすごく刺激的。バチカン美術館で システィーナ礼拝堂の壁にあるミケランジェロの壁画も見てきた。カソリックの威力をすごく感じる。

Friday, March 05, 2004

Francesca


写 真は、菅沼さんとミケレと一緒に行った場所。シェイクスピア作「ロミオとジュリエット」のジュリエットの家。本当にジュリエットの家だったみたいだけ ど、シェイクスピアの話は実話ではないみたい。バルコニーがある庭には今ジュリエッタの像があって、彼女の右胸を触ると恋が実るという説話があって、観光 客が皆触っていくので、右胸だけさびることなく金色になってた。菅沼さんもちゃんと触ってたけど。笑

日本も標準語として国語の授業がある ように、イタリアにも政策の一環で定められた「イタリア語」があって、これはニュースや印刷物で使われているけど、各 地方で話す方言が日本より根強く残っているみたい。アクセントの違いと、語尾の変化、それから語彙そのものが異なる場合もある。イタリア人どうしても、車 で40分ほど離れた街に行くと、理解できないことがあるみたい。

今日はマントヴァに今住んでいる友達のフランチェスカと会った。彼女は前 東京で数ヶ月仕事をしていて知り合った。チェスカと日本とイタリアが関係する研究 テーマを一緒に作れないか、という話をしていて、私の博士研究の一部と彼女の研究室の研究の一部とで重なる部分があれば何かできるかもしれない、という 話。チェスカとの話がもう少し具体的になったら、彼女の先生とも一緒に話してみよう、と言うことになった。

Wednesday, March 03, 2004

ミケレとプレゼンテーション賞


写真は、ピサの帰りに立ち寄ったフィレンツェのドゥオーモ内にあるクーポラに上ってとったFirenze市街の写真。菅沼さんという友達がイタリア旅行中でピサとフィレンツェに立ち寄ったのでミケレと3人で上ってきた。すごくきれいだった!

やっ と天候が回復して、昨日と今日とてもいい天気。東工大の広瀬先生からメールがあって、ミケレが機械宇宙システム専攻の修士学位口頭発表で首席になった とのこと!!!すごいすごいすごいすごいすごいすごい嬉しい!!!卒業式で表彰されるから必ず26日には帰ってきてくださいとのことだった。がんばってき たことが形になって返ってきたんだね。ネイティブの日本人学生と同じ枠で評価されて得た賞。すごいすごい!

Sunday, February 29, 2004

ミケレとピサへ

今日はミケレとピサに戻ってきた。明日できればヘンリー教授とお会いして、またマントヴァに戻る。それから、部屋換えをした。でも、やっぱり!!グラツィアが値段を上げてきた。さらに20ユーロも!本当にもうやってられない・・・。毎月理由がはっきりしない値上げに対応するのも本当に疲れるし、もしいやなら出てってもいいとのこと。ミケレがいて通訳をしてくれて10ユーロ下がったけど、人間関係もともかく予算的に本当にやってられない。

イタリアの鉄道の旅は時間的に中国と同じレベルかな、と思う。10分遅れは当たり前なのだけど、乗り継ぎを3回しなくてはならない場合、玉突き状態に遅れていくので、出発時刻が30分遅れただけでも結果的に最終目的地到着が3時間ぐらい遅くなったりする。みんな文句は言うけど改善されていかないみたい。新幹線が2分遅れただけで全国ニュースに流れる日本もある意味すごいけど。笑

Saturday, February 28, 2004

ノゼドレ


ピサでは全然雪が降ってなかったけど、マントヴァは時々1-2センチ積雪するぐらい雪が降る。寒い!ここしばらくイタリア全土で天候が悪くて、太陽が恋しい・・・!!

Monday, February 23, 2004

ミケレ・・・!

今日ミケレがイタリアに来る!今日でイタリア語のコースが終わり。午後4時半に終わったあと、マントヴァへ電車の旅。フィレンツェで乗り換えて4時間の旅だったミケレもグラツイァもいったので、念のためファーストクラスの切符を買った。やっぱり女の子一人で深夜の電車旅は安全じゃないみたい。深夜にマントヴァに到着。ミケレとミケレのお母さん、お兄さんが駅まで迎えに来てくれた。ミケレはちょっと痩せたみたい…。会えて嬉しい…!

Tuesday, February 17, 2004

事故


写真は、ミケレが送ってくれたバレンタインのバラ。ドライフラワーになりました♪

写 真とは正反対だけど、今日朝事故った。本当に怖かった・・・(>_<)私は自転車で相手がスクーターだったんだけど、後ろから来ていて左抜き に私を追い抜かそうとした。丁度同じ時に私が左に曲がろうとしたので接触して、私は大丈夫だったんだけど、相手がスクーターごと倒れてしまった!もう頭の 中がグルグル (@_@;)怪我してないだろうか、バイクは大丈夫か、アメリカでは絶対誤っちゃいけないんだけどこっちはどうなんだろうとか、保険ってこ の場合カバーしてもらえるんだろうか、とか・・・。結果的には全部大丈夫で、問題なかったんだけど。彼も最初は怒っていたけど、私がアジア人なのをみて 「こいつは文句言っても理解しないな」とわかったらしく、結構冷静になってくれた。あーーーー本当に怖かった!しばらく自転車恐怖症になりそう・・・。

Monday, February 16, 2004

一ヶ月目

今日で丁度、渡伊1ヶ月目。纏めるとこんな感じ。

1)健康:詰め物が半分割れて取れちゃったので歯科に行かなくてはならない。でも、保険手続きのことも含めピサで一人で行くのは不可能に近いので、ミケレが来たときにマントヴァで連れて行ってもらおうと思っている。頭部に感触がないところがある件。前よりも緩和されていると思う・・・。後は食生活。いくら一番安い食品だけ買う!とはいえパスタとトマトソースばかりの生活は腸に良くなかったらしい。(←当たり前)

2)研究:イタリア語で会話ができるような場にはなるだけ顔を出してきたから、少しずつ耳が慣れてきたと思う。週日は日に拠るけど、授業も含めて大体7~8時間ぐらい机に向かっている。1つ目の論文の大まかな流れを整えたところ。できればHenry教授のイタ語の論文も参考で使いたいから、3月中旬までに読む予定。聖アンナでは、学期自体は6月末までだけど、その中で教授が自分の予定に合わせて好きなときに1ヶ月間ほどのコースが開かれる、というシステムらしいことがやっと見えてきた。今あるコースは、イタ語だけでこれは来週で終り。3月は論文につかうルーマンの文献を読むこと、イタリア語文法をおさらいして4月からイタリア人学生用の博士課程コースをどれか聴講してみようと思う。

3)生活:聖アンナでも顔見知りの友達が幾人もできたし、グラツィアとサイモンとは夏に出るときどうなるか今ちょっと不安だけど今のところいい関係を保っている。

4)費用:1ヶ月たって、一月部屋代を含めて750~800ユーロあると、①最安価の食品を買って(チーズ鮮魚鮮肉なんかは高くて買えない笑)など当たり前のことはしながら自炊、②且つ友達と週に1度ぐらい外食したり、映画を見に行ったりもできる程度の生活が送れることがわかってきた。でも。今の為替だとユーロが強すぎて私の予算だとちょっと厳しい。お父さんに借りたお金は帰国したら直ぐ全額返そうと思っているし、早稲田の授業料があるし、帰国直後は仕事がないからその間の生活費も必要だし・・・。追々、予算的にいつまで居れるか、且つ、居る価値があるかを、全部考慮しながら決めたいと思う。

5)ミケレ:後1週間後にイタリアに一ヶ月だけ一時帰国するから、その間は私もミケレの実家に滞在する。ミケレが支えてくれたおかげで、自分自身で地に足をつけ、自分の人生の目標を考えながら日々の生活を送ることができる。彼も同じように、私という存在を感じてくれている。一緒に手をつなぎながら前に進んで行ける、そんな関係を作ってこれて、且つ同じ方向に向かって歩んでいることを、心から嬉しく思うし大切に思う・・・。

Wednesday, February 11, 2004

合格!

ミケレの修士論文発表兼博士課程口頭試験は、すごく高評価で、何の問題もなく合格した!!!本当に嬉しい(≧∇≦)! 電話でミケレから報告を聞いたときは泣いてしまったほど・・・。博士に入ってからも今のレスキューロボットの開発の研究と、起業と、忙しくなるけど、一緒に手をつないで歩いて行こうね。早く会いたい・・・!

Monday, February 09, 2004

アパート問題3


写真はすごーくいい天気のときに、ディメッゾ橋から取った写真。最近は曇りばかりで太陽が恋しかったけど、今日も晴れてた。すでに暖かくなってきて陽だまりに居るとジャケットが要らないぐらい・・・!

今 日のトピックはまたまたグラツィアとリーザ。なんだか帰国最後の1ヶ月がこのようになっちゃって可哀相…。多分、リーザも「ま、いっか」ってなれれば楽 なんだろうけど、真っ直ぐなものは真っ直ぐに!と主張するのでグラツィアと反発しちゃうのかなあ。ゲルマン風気質とラテン気質の対立とでも言おうか・・。 うーん。問題は部屋の賃料。彼女は3月1日から私が今居る部屋に移るので一ヶ月250ユーロになる。けれど、3月7日に帰国しちゃう。グラツィアは、この うちは日払いじゃなくて、1ヶ月ばらいか半月払いだけ、と主張して125ユーロ払って、とリーザに言う。リーザはリーザで、3月1日から7日までずっと フィレンツェに居る彼氏のアパートに滞在するから、このうちにあるのは彼女の物だけで、物置料として一日10ユーロ×7日=70ユーロだけしか払わない、 と主張する。まあ、7日だけしか居ないのに15日分を要求するグラツィアも変には変。しかも、彼女はころころ要求を変えるし、その場の乗りで言ってもない 事を言ったと主張したりその反対もあったり。ほんの数日前に、グラツィアは80ユーロでいい、とリーザに言ったらしい。でも今回突然また125ユーロと 言って、リーザがその点を指摘したら、そんなこと言った覚えがない、と言う(←これはうそばっかりなんだよね。)今回の話し合いの途中にグラツィアが、今 回だけは100ユーロということにして話を付けましょう、と言ったのだけど、リーザは「そんなの正しくない」と言って受け入れない。どうなんだろうねー。 リーザがただ、はいはいと言って125ユーロ払わないと主張したのはえらい!と思って見習おうと思う!けど、あるところでは「ま、いっか」って言うのも大 切な気がする。特に海外にいて大家ともめた場合とか・・・。グラツィアへのアプローチの仕方とかもその人に合わせてベストな方法で攻めたほうが勝ちだと思 うんだけどなあ。グラツィアは、下手に出て行ったほうがうまく収まる事が分かったから、この童顔を生かして私は戦略的に行ってるんだけど。なんていうか、 「その場の乗り」っていうのがこの国にはあって、それを逃さず自己主張するのが結構多いのがイターリア、と言う感じ・・・。且つ私もそれを利用できる時は 負けずにそうすべき。

ちなみに、グラツィアが(例によって)、私に突然大きい部屋のチャージを10ユーロ値上げして、310ユーロと言っ た件については、今日、何も追求せず知 らない振りして黙って(でもにこっと笑って)300ユーロだけ渡した。そしてそのまま何事もなく終った。ははは。多分リーザとの件があったからグラツィア の頭がそっちでいっぱいになっちゃったんだろうね。まあ後日追求されるかも知れないけど、そうしたらその時にまた聞けばいいや。リーザとの話し合いの後で グラツィアに呼ばれて「さっきの話し合いがちょっとすごかったけど心配しなくていいのよ」と言われたので、正直な気持ちとして、且つムチャクチャ無垢な顔 して「日本のスタイルはもっと落ち着いているので、話し合いが激烈化してどきどきしました」と言ったら「大丈夫よ、ただこんな風に学生と問題が起こったの は本当に初めてなのよ!でもここはホテルじゃなくて私の家なんですからね!」とのこと。この家に関しては彼女が歩く立法機関らしいので、どのようにオフェ ンス・ディフェンスするかを考えよ、ってことなんだよね。

明日はミケレの修士論文プラス博士課程入試としての口頭試問。最後の一週間で、 彼が設計したレスキュー用ロボットもほぼ完成して、これはデモでも無事動い た!!この2年間一緒にがんばってきて、明日その結果が出るんだよね。私も緊張する…!この大切な集大成の日にミケレと一緒に居られなくて本当に残念だけ ど、ずっと考えてるよ。がんばれがんばれ!

Thursday, February 05, 2004

Film


写真はガブリエーラとヘンリー教授。ガブリエーラは、一緒の専攻。

今 日は晃子と一緒に食品を買出し。晃子が安いスーパーがあるというので ついていったけど、遠かった・・・!てくてく歩いて40分ぐらい。でも本当に安くて、500gのパスタが50円ぐらい。もっと買いたかったけど、私はそん なに食べる方じゃないし、家まで持って変えるのも大変であきらめた。

お昼をいつも混雑しているピッツェリアで食べた。晃子がカルツォーネ という、ピザの包み焼き見たいのを頼んだ。東京だと1500円とか2000円ぐらいだけど、500円ぐらいだった。私のピザも美味しかった!ミケレが2月 に来たときとかお母さんが夏来たとき、一緒に行きたい!

午後は聖アンナで、その後、夜ジャンカルロと映画を見にいった。もう見たことが あったけれど、ラストサムライ。こちらでは L'ulitima Samurai という。イタリア語の勉強にすごくいいとヘンリー教授に進められて。うーん、ちょっとづつ耳が慣れてきたとはいえ、まだまだだねー。5% ぐらいしか分からなかったと思う。でも映画にいけて楽しかった!イタリア式映画の見方で有名な、映画の途中で突然映画が途切れる "Pausa"も体験できたし!

夜は12時半に帰宅。例の施錠問題は、グラツィアに前もって伝えておいたから大丈夫だった。多分グラツィアは、なんでもとにかく Si' というと機嫌がよく、優しくしてくれるみたい。私は童顔だし、これをめいいっぱい利用して懐いた振りをしよう!と思う。笑

Tuesday, February 03, 2004

アパート問題2

グラツィアがまたリーザと問題。入居するときには何時に帰ってきても問題はない、と言っていたのに、リーザの帰宅が遅すぎるという。これからは23時半には施錠するから、それ以降に帰ってきたら外で寝て。だって。おいおい。なんか後になってころころ約束が変わってちょっと問題。23時半なんて、学校から帰ってきて24時の時とかあるし。本当にアパート変えなくちゃならないかも。

今日は1日中忙しかった。午前中は届いた郵便を取りにポストオフィスへ行き、午後はPontederaに置き忘れていた上着をとるついでにチェチリアやジャンカルロとランチを食べた。その後は聖アンナで勉強した後、クラウディアにおごってもらって学食で夕食。そこで何人かのイタリア人の学生と知り合って、1時間程度パブへ行った。

本当、帰宅時間の件とか、いろいろ。今は静観しているけど、本当にどうなるやら。

Thursday, January 29, 2004

Henry教授とのミーティング


写真は、私の部屋の窓。見ての通りすごーーーく狭い!けど、私は6畳一間で生活していたからあんまり気にならないんだよね。強いて言えばドアがないのがいやかな、やっぱり。


今 日はProf.ssa Henryとついにお会いできた。とてもいい充実したミーティングを持った。今年1年間のスケジュールと、課題と、コースについて話し合った。通常のイタ リアの大学はクウォーター(4学期)制らしい。でも制アンナはセメスター(2学期)制。私は博士課程の学生なので講義はないのだけれど、できれば授業はと りたかったので、10月から始まる後期から修士課程の講義を聴講するということにして、それまでにある程度のレベルのイタリア語を身に付けることを前期の 課題の一つとした。博士の研究については英語で指導を受けつつ継続することにした。あと、1ヶ月だけという英語で行われるセミナーが5月ごろにあるらしい のでそれは聴講させてもらう。とりあえず最初の講義は、2月の前期3週間だけだけどイタリア語の授業がある。ピサに来てから毎日テキストを使って独学して いたけど、授業があるのはとても嬉しい。来週の月曜日から開始する。

それから、今日の朝、グラツィアがナオこちらにいらっしゃい!と呼ぶ ので行ってみるとすごくリーサに対して怒っていた!リーサは昨日からフィレンツェの友達のところに泊まりに行ってしまっているのだけど、洗濯をやりっぱな しで、しかも操作方法を間違えたのかな?水があふれて洗濯機が前に移動してしまってなどなど、大変だったらしい。水曜日に友達を沢山呼んでディナーをした り、彼氏を泊まらせる事を許可してあげたりなど、マンマグラツィアとしてはいろいろ妥協してあげたのに、その挙句にこれは何・・・!ということで怒りが沸 点に達してしまったみたい。今度から、洗濯機を使うときは私が家にいるときだけにしてね!という。私は洗濯機の使い方が複雑でまだ良く分かっていなかった ので願ったり叶ったりなんだけど、友達を呼ぶのは絶対止めよう・・・!と決意した。2月にミケレが来るけど、その時もホテルを予約した方がいいみたい。 ホームステイのメリット/デメリットだね。

Monday, January 26, 2004

いい感じ


写真はハウスメイトのリーザ。イタリア語の良い先生です。3月にはオースオリアに帰国してしまうのだけどウィーンでもう一度再会しようね!

周 りも落ち着いてきて、なんとなくここでの生活の一日のタイムスケジュールがわかってきた。いつごろまでにお店に食料を買いに行ったほうがいいのか、と か、ランチはいつごろまでに取ったほうがいいのか、など。イタリア語の授業も2月から始まるようだし、今週から研究時間のタイムスケジュールを作っていこ うと思う。

というわけで、今日はまず、朝起きた後、髪の毛を洗って、それから聖アンナへ。コンピュータールームでメールの確認と日記の更 新、それから、ジャンカルロ とミケレとネットで話して、部屋を移らず小さい部屋のままでいる件についてどう思うか聞いてみた。そうしたら二人とも反対!やっぱりお金を出してでも、鍵 付でドアがちゃんとある部屋にいたほうが良い、と言われた。そうだよなあ。と思い直して、やはり3月には大きい部屋へ移ることにした。その後、ミレーナと いうブルガリアからの友達が、私立のイタリア語学校があるから行ってみない?と誘われた。そのときは忙しかったので一緒にいけなかったけれど、すごく興味 があるので今度詳細を聞きに行ってみようかと思う。その後で、クラウディアとランチを取ることにしたけれど、その前に銀行口座を開けに行くのでついてき て、というので一緒にチッタへ出かけた。イタリアは、本当にコネ社会だと思う。留学生が一人で口座を開けたい、と言いに行ったら、本当にいろいろな理由を 付けて断られた!クラウディアはすごく怒って、聖アンナの学生課に相談しに行き、学生課のトップのブズネッリさんが銀行に電話したら「ああ、そうなんです か、誤解があったようですね!来ていただければ直ぐ口座を開きますよ」という。私は、まこんなものでしょ、と笑っていたのだけれど、クラウディアはずっと 怒ってタバコをスパスパ吸っていた。

その後、チューターのガブリエーレとあって、彼の書いた論文のコピーを欲しいと伝えた。イタリア語の 勉強にもなるし、同じルーマンの意識論などを書いてあ るものだから、参考文献としてもいい。後、ヘンリー教授の論文も印刷して、研究用参考文献且つイタリア語文献としても読んでみようと思う。

今 日は疲れたのでプロシュートとズッキーニの炒め物とゆでたサツマイモで終わり。やっぱり自炊ができるようになって野菜が食べれるようになれたのが嬉し い。ゲストハウスの時は、時々夜はヨーグルトだけだったりして本当に栄養が偏りそうだった。今は毎朝ホット牛乳を必ず飲むようにしている。カルシウム大事 だし!

あと、体調が?な点として、実はイタリア到着の初日に気づいたのだけど、後頭部の一部、直径5センチぐらいだと思うんだけど、感覚 がない気がする。その部 分をペンで触っても、頭部の皮膚の触感がない。なんでかな?電話でミケレに言ったら、今まで言わなかったことにすごい怒って、直ぐ病院に行け!だって。 うーん、イタリア語だしなあ・・・。明々後日まで待ってみて、本当にまだ変だったら行ってみようかな。

Sunday, January 25, 2004

アパート問題


写真は晃子さん。いろいろとピサ生活の術を教えてもらっています!6月には直ぐに帰国しちゃうのが残念!

今 日は、昨日の夜遅かったので朝10時に起床。軽い朝食を取ってから、友達たちにポストカードを書いた。その後トマトソースとツナのパスタを作って昼食を 取り、午後は大学へ。日曜日でも大学のコンピュータールームは開いている、と聞いていたので、本当かどうか試したかった。日曜日は殆どのお店が閉まってい るけど、ピサ大の近くのバールが開いていたので、カプチーノを飲んで、聖アンナへ。そこで、メールや文献の検索をしたり、お父さんお母さん、ミケレと話を した。夜はリーザと一緒に食べよう、ということにしていたので夕方7時に帰宅。グラツィア、サイモン、リーザと私の4人そろって夕ご飯を食べた。私に質問 してくることは30-40%ぐらい分かる。でもそれは分かり易い内容のことを話しているからだと思う。

今いる部屋が5畳あるかないかぐら いの小さな部屋で250ユーロで、リーザのいる大きな部屋が300ユーロ、と入る前に言われた。リーザは3月から出てし まうから、もしも大きな部屋に移りたかった可能だよ、とも言われていたので、是非そのようにしようと思っていた。私の部屋は、もともとダイニングだったと ころに仕切りを作って部屋にしたようなところなので、ドアはアコーディングのような取ってつけで、鍵も南京錠だし・・・。それに比べて大きな部屋は元々か らちゃんとした部屋作りだったから、ドアもあるし、庭に面しているし、条件はいいほう。しかも、マンマグラツィアは深夜勤務があって時々よる9時から朝ま で居ないことがある。そんな時リーザが今入るから良いけれど、3月になったら帰ってしまうし、そうしたら家の中でサイモンと二人きりだし・・・。いい人だ けどなんだか気持ちが悪い。そこで、一昨日1月分の部屋代を払う際に、3月からは大きな部屋に移りたいけど、と伝えた。そうしたら、グラツィアが、「もち ろんOKよ。そうしたら1月310ユーロ払ってね」と言う。??なぜ突然月額が変わってしまうのかさっぱり分からないので、最初の説明と違う、という旨を 告げたら、「今年からそうすることになったの」とか何とか。そのほかにもいろいろ言っていたけど、とにかく理由が、私のイタリア語レベルのせいもあってわ からない。「申し訳ないけど、私はなぜかというのが分からないのでジャンカルロに電話してもらうから説明して欲しい」とお願いした。その話し合いの後直 ぐ、ちょっと混乱したのでリーザの部屋までいって、事情を説明し「どういうことなんだと思う?」と聞いたら、直ぐにいやな顔をして「グラツィアがもっとお 金をもらおうとしているだけよ」という。リーザが月幾ら払っているのか聞くと、290ユーロなんだと言う。だから私も290ユーロにして、とは思わないけ れど、なぜこの数日間で値上げがあるのか、そして今後もこんな風に彼女の自由意思で値上げが突然あったりしていたら、生活が難しい。ジャンカルロにも説明 して電話で話してみて欲しい旨を伝えたら、彼女は生活が多分そんなに楽じゃなくて本当にお金が必要な感じがしてたよ、という。ミケレにもどう思うか聞いた けど、やっぱり突然値上げするようなのはおかしいという。そんなこんなでいろいろ考えたけれど、もう大きい部屋に移るのはいいや、と思う。お金も節約でき るしこのまま小さな部屋でいよう。

マンマグラツィアもサイモンもとてもよくしてくれて嫌いじゃないけれど、いざなんか変だなと思ったら直ぐ引っ越しても良いや、というぐらいの気持ちで住んでいたほうがよさそう、というのが今の所の心境。

Saturday, January 24, 2004

ピサでのはじめての週末


写真は、マンマグラツィアとサイモン。両者ともとてもいい人だけど、どこまで信用していいのか、ちょっと??なこともある、というのが実情かな。

今日はとてもいい天気!朝は8時半に起床。朝ごはんを食べてから、リーザとジョギングに行った。彼女は週に2回はジョギングにいくという。すごくいい感じ!東京ではジムに毎週1回通っていたけど、ピサではお金がないから運動はあきらめようかと思っていたから。アルノ川沿いをずっと走って、街の外れにジョギングに最適な公園があった。二人で、彼氏の話とかイタリアでぼられた話(当たり前なので書かなかったけど、既に数回あった)とかをした。帰ってきても体が温かい。来週から週2回は一緒に行こう!と約束した。

その後トマトリゾットを作って、昼食をとり、その後、リーザが駅に行く途中海外に安く電話をかけられるカードがある、というので、それを売っているお店を教えてもらうためにリーザと一緒にチェントロ(中心街)へ行った。ただ、リーザに、今行っても開いてないけどよい?ときかれた。あ、土曜日は開いてないの?と聞くと、なお、そうそう、イタリア時間に慣れるのも大事よ、と言われた。あ!そうか!イタリアの時間、というのは、オフィスもお店もバーやレストランなんかも、午後1時または2時から4時または4時半ぐらいまで閉まっちゃうということ!前イタリアに来たときに、日曜日はショッピングなんてできるお店は一つもない、というのが強い印象に残って覚えていたんだけど、この午後閉店の慣習は忘れていた・・・。

だからと言って、イタリアの人は本当に休みが沢山あってよい、というのとはまったく違うと思う。朝は8時半から開業して午後1時半まで働く。それからゆっくりお昼を食べて、企業だったら午後3時半ごろから6時ぐらいまで、お店は午後4時とか4時半から夕方の7時半から8時まで。結局勤務時間は日本と一緒。お昼をゆっくり食べるのは、多分皆家に帰って食べるからじゃないかと思う。シエスタの慣習の名残でもあるのかな。とにかく、この時間はスーパーも道端の小さいお店も閉まる。その感覚がまだ掴めてなかった。

その後、午後4時半に晃子と待ち合わせをして、オリエンタル食料品店を教えてもらった。本当に小さいお店だけど、サツマイモがあった!すごい!今日道を歩いていたら突然無償に焼き芋が食べたくなっていたから即購入した。その他、醤油、味噌、しいたけ、わさびなどもあったし、あとタイカレーやインドカレー等エスニックなものもあって嬉しかった。その日はそのまま晃子のアパートにお邪魔して、チャーハンと味噌汁を作り、二人でいろいろなことを話して夜の2時に徒歩で帰宅した。その時間外を歩いていても、本当に大丈夫!という感じだった。

Thursday, January 22, 2004

引越し初日


写真はジャンカルロ。お世話になりっぱなしです・・・!

引 越し先はまずまず、という感じ。オーナーはグラツィアさん。マンマグラツィアという感じ!彼女は福祉関係の病院で働いていて、時々深夜のシフトがあって 帰ってこない。彼女の息子がサムソン。彼は30歳で、とてもいい人だと思う。だけど、ちょっとナイーブ過ぎる感じだし、身の回りのことはすべてグラツィア がやっている、というような、ある意味典型的なイタリア母子。サムソンは働いてなくて、最近バイオロジーの学校に通い始めた、という話だった。そしてオー ストリア留学生のリーザ。コンテンポラリーミュージックを専攻している。リーザをは直ぐに友達になれた。彼女にはイタリア語で話してもらって、着いていけ ないところは英語に変えてもらっている。私はなるべくイタリア語で話そうと思うけど、今のレベルでは会話が終了してしまうので英語で。リーザは3月上旬に 帰国してしまうそう。すごく残念!本当は6月まで留学しようかとも思っていたのだけれど、ピサの大学での関係する授業は終ってしまて、しかも、母国のウ イーンでの方の教育のほうがレベルが高いことが分かったらしい。でもやっぱりイタリアに来たことの意義はとても大きくて、あるのとないのでは比べ物になら ない、と言っていた。私もリーザと一緒だなあ思った。期間に囚われずに、吸収できて研究に役に立つことは前向きにどんどん挑戦したい。聖アンナでの1年間 という時間が果たして、足りないかそれともあまるほどなのか、ちゃんと見極めながら、時間とお金を無駄使いしないような留学にしようと思ってここに来たか ら・・・。いずれにせよ、彼女が直ぐに帰国してしまうのは本当に残念。リーザは今大きい部屋を借りていて、私の部屋はとても小さい。しかも通りに面してい て、朝の車道の喧騒がものすごくて6時半時以降ねむれなかった。3月1日から部屋を移してもらうことにした。一月310ユーロ。4万5千円ぐらい。一ヶ月 の奨学金を考えるとちょっと賃貸料が高いけど、しょうがない・・・。

今日は、朝、荷物を開いて、それからPontederaのジャンカル ロに会いに行った。現金だけで生活費を持ってきて、でもまだ銀行口座を空けられないで いるので、この家に引っ越してからスーツケースに入れておくのは不安だから、ジャンカルロの銀行口座にとりあえず貯金させてもらった。イタリアの銀行は、 日本みたいにいつでも預金ができるわけじゃなくて、窓口に行って(イタリア式にゆっくりと手続きが進む)預金する。研究の合間を縫って時間を作ってもらっ た。それから、リーザと3時半に待ち合わせをして、食料品買出しに行った。そこで、聖アンナの近くに、ピサの中でも安めのスーパーを教えてもらった。パス タや米を買い込んで、あー、やっと自炊ができる・・・!今日は米食だ♪と思いつつ帰宅したら、グラツィアさんが夕ご飯作ったから一緒に食べましょう!とい うことになった。豚肉の煮たものお野菜。「家族」の食事はとても美味しかった・・・。

今日はPontedera からのほんの20分しかインターネットに接続できなかったけれど、ミケレがストレスぎりぎりになってきているのが分かる。明日の金曜日が提出日。ミケレの 修士の集大成、そして博士へ続く研究成果が出来上がる。数時間しか寝ていなくて体力的にも精神的にもぎりぎりだろうけど、ずっとずっと応援しているよ!

Wednesday, January 21, 2004

滞在許可書


写真は、先日チェチリアといったピザ。5人でこれを2枚頼んで食べました。私は1切れでダウンしたけど。笑

今日は午後、ヘンリー教授とのお約束があったけれど、お風邪を召したらしくていらっしゃらなかった。そこで、ガブリエーレと一緒にQuestura(警察署)へ、滞在許可書申請に行った。

こ の滞在許可書申請にはいろいろないわく付きで、必要な書類についてもいろんなうわさを聞いていたのだけど、本当に何が必要かは行ってみてからじゃないと 分からなかった。ところが!あっというまに受付をしてもらえた・・・!というのも、今日言ってみたら、偶然、聖アンナの学生担当のモンガソンさんがいて、 他の留学生全員をまとめて面倒見ていた。彼女が、「もし今日、全部書類を持っていたら一緒にやっちゃうわよ!」という。「えー!・・・今日は予約取り付け だけ、ときいていたのに」もっていた書類は(たまたま)パスポートと、受入許可書の原本、ゼネラリの保険のコピーだけ。

急いで写真を撮りに言って、手数料をもって、他の聖アンナの留学生に紛れ込ませてもらった。そして待つこと(ほんの)40分。受付終了で、引換券(リチェブート)をもらえてしまった。本当にびっくり・・・!マニュアルなんて、本当にないのねこの国って。笑

今から引越し。どきどきするなー。

明日は銀行口座を空けに行く。イタリアの生活は、本当にゆっくり。一日に1つか2つの課題ができればそれで終り。スローライフだなあと感じるし、それに慣れてきた私がいる。東京は本当にせかせかしてたね。

ミケレも明後日が提出日。数時間だけの睡眠でがんばっている・・・!がんばれがんばれ!

Tuesday, January 20, 2004

Orientation


写真はディメッゾ橋からアパートの方に向けて取った写真。ピサの略地図で見ると、赤色がアパート。青が聖アンナ。黒がディメッゾ橋。アパートから聖アンナまで2-3キロぐらいかな。

聖 アンナの2004-2005年度博士課程オリエンテーションがあった。そもそも、私は聖アンナの博士課程には入るのではなくて、 VisitingStudentなので扱いがことなるのだけど、でも同じ学科の博士課程の学生と知り合ういいチャンスと思い、参加させてもらった。

行っ てよかった!同じ学科の人だけじゃなくて他学科の方とも知り合い、やっぱりほっとした。キャンパスに行って、顔見たときにチャオ!と一言だけでも交わ せる人がいる、というのは心強い・・・。今はPontederaキャンパスの方により多くの友人がいるけれど、少しづつPisaキャンパスでも知り合いを 増やせたらよいなと思う。

イタリア語が上達するのは、現地の友人をつくるのに本当に必要・・・!みんな流暢に英語を話すけれど、やっぱり友達はイタリア語で!当たり前だよね。イタリア語レッスンは2月ごろから開始できるんじゃないかと思う、という話。早く開設されて欲しい・・・!

明 日は忙しい! 警察署に行って滞在許可書の申請をする、Henry教授とのミーティング、引越し。一番の不安は引越しかな。ジャンカルロが手伝ってくれ るけれど、引越し先での生活がまったく分からないから、どうなることやら・・・。ただ、もうアパートを決めることができた、という旨を伝えたら、なんて幸 運なの~~!!って皆に驚かれた。ついたその日なんて不可能に近かったみたい。普通は2週間かかることもあるらしくて、まずはホテル暮らしが当たり前で非 常に高コストになるらしい。本当にミケレ、ありがとう!出発前に電話して到着当日に見る約束を取り付けて、それから大家さんにも日本から何度か電話してく れて、沢山のサポートのおかげだよ。

Sunday, January 18, 2004

休養


今日は、昨日に続いて休養日。朝、熱は37.2ぐらいまで下がってた。

ずっとベッドにいたから体がなまっちゃって、Pontederaの町をちょっとだけ散歩に行こうかとも思ったけど、ここで羽目をはずしてまた人に迷惑掛けちゃったらまずいし。というわけで一日ベッドで過ごす予定。
このPontederaの聖アンナのゲストハウスに私が泊まれるように手配をしてくれたチェチリアと、本当は今日の夕方寿司屋に行く予定だったけど、彼女に電話をしてキャンセルした。明日一緒にご飯を食べることにした。

やっとシャワーを浴びた!もうすごくリフレッシュした!髪の毛もあらって、あーーーさっぱりした!

と思っていたら、ミケレが電話をくれて、聖アンナキャンパスは今日は日曜日だからだれも中に入れないけど、デリバリーがあるから校門に行って取ってくるように。??なんだろう?とおもったら、バラの花束だった・・・!
ミケレが、早く良くなるように、とWebサイトで注文して送ってくれたんだって!びっくりしたし、本当に嬉しかった・・・!ドライフラワーにしてずっと飾っておこう! (^o^)/

ミ ケレも来週運金曜日提出の修士論文の締め切りに追われて本当に大変な時。そのまま博士に上がるから、修士論文の口頭試問が他の人よりも厳しくて時間も長 くて。私が修士論文を終わらせるためにてんてこ舞いだったとき、ずっと応援して支えてくれて、卒業式にも一緒に来て祝ってくれた。
彼の修士論文に は今度は私がサポートしたくて、できる限り支えてきて、できれば卒業式にも一緒に出てお祝いしたかったけど、それは無理になっちゃった。で も今までそうしてきたように、お互い支えあっていきたいと思う。修士論文提出という大事なときと私の渡伊が丁度重なってしまって、ミケレがすごくすごく辛 いのが分かる。私もピサでがんばるから一緒にがんばろうね。

Saturday, January 17, 2004

発熱~~~?




写真は晃子さんが持ってきてくれた食料!イタリアは日曜日は全て店が閉まっちゃうから、絶対食べ物かっておかないと・・・!

夜は全然熟睡できなかった。時々目が覚めて、しかも気持ちが悪いし。一回おきて、ミケレと話したりしていたけど、やっぱり悪寒がする!なのでまた早々に布団に入って寝た。

晃子さんとの約束が1時だったから、10時半に目覚ましを掛けておきたけど、熱っぽい!どうしよう・・・ @_@;
体温計もないし、薬もないし、SARSだったらどしようとか、食べ物が何にもなくて、どこに買いに行けばいいのかもわからなくて、もうぐるぐるしてとにかくミケレに電話した。
ミ ケレが、すぐに、ミケレのお母さんに電話してくれて、ミケレのお母さんが薬局に電話してくれて適切な薬の名前を調べてくれた。それからミケレがジャンカル ロに電話して事情を説明してくれたんだけど、ジャンカルロはちょっと遠い町にいたのでジャンカルロが彼の友達でPontederaに住んでいるファブリ ツィオに連絡をしてくれて、彼が薬局に薬を買って届けてくれた。
こんなときはどうしようもないし、もう甘えに甘えまくろう!と思って、本当に皆に感謝感謝感謝だった。ファブリツィオさんには薬代を払うといったのだけど、受け取ってもらなかった・・・。

熱 を測ったら37.8度。それから晃子さんに電話して、約束をキャンセルした。彼女とは日本にいたとき数回しかあったことがなかったけど、申し訳ないけど Pontederaまで食べ物を持ってきてもらえないかとお願いした。数時間後に食料を持って晃子さんが来てくれた!ピサに日本人の知人がいることはとて も心強かった!彼女のアパートの同居人の話も面白くて参考になったし、日本にいる彼氏の話でも一緒に盛り上がって、とてもうれしかった。

ミケレが何度も日本から電話をしてくれて、あとミケレのイタリアの友人とかも電話をくれたし、あとお父さんとお母さんとチャットできて元気が出た。ありがとね!

多分、日本での最後の1週間はほとんど寝れなくて、旅の疲れが一気に来たんだと思う。一日ベッドにいて、休養した。熱を出したのも本当に久しぶり。無理をしちゃだめだね、やっぱり!

Friday, January 16, 2004

ピサ到着

ピサに到着しました!パリから乗り換えて、到着したのが朝9時半。ゲートを出たら、私のチューターのガブリエーレが待っていてくれた。
彼を見たとたん、ほっとした・・・! 今回は、生活資金を一番安く上げるために結構な大金を全て現金にして持っていたし、荷物も重くて、ずっと緊張していたみたい。彼はその後すぐにローマへ行かなくては成らなかったので、私が宿泊先のPontederaの町までいけるよう鉄道の切符を買ったりしてくれて、その場で別れた。

Pontederaには、聖アンナ高等研究院の工学系キャンパスがあるところで、今回は特別、1週間だけそこのゲストハウスに滞在させてもらうことになってる。人の縁って不思議で、広瀬先生やミケレの知り合いというところから、早稲田と聖アンナの共同プロジェクトまで、本当にいろいろな縁でピサに数人の知り合いができた。今回もそんな縁からこのPontederaに滞在させてもらえて、次回は私がなにかGiveできるものがあればよいなあと思う。

Pontederaの駅にはジャンカルロが待っていてくれた。ジャンカルロは年末に東京にいて、2回ぐらいあったことがあったから、またほっとした。その日はジャンカルロがずっと面倒をみてくれた。まず、部屋を案内してもらってから、次に、ジャンカルロと彼の研究室の人たちと一緒にお昼ご飯を食べにいった。その後でピサの町へジャンカルロが車で案内してくれて、一緒にアパートも回ってくれた。

日本にいる間にミケレが本当に沢山のアパートに電話をしてくれて、やっと約束を取り付けることができたのがこの2つのアパートだった。

アパートは、2つ見たのだけど、最初に見た方が、イタリア人のおばさんが自分のアパートを学生に貸し出ししていて、海外の留学生をよく受け入れているということだった。今後どうなるのかわからないけど、第一印象はすごくいい感じの人で、イタリアのマンマという感じ!部屋は、光熱費含めて250ユーロだけど、ちょっと狭いし、ドアもあまり良くない。3月になるともう一つの大きめの方の部屋が空くから、そうしたらそちらに移りたいな、という感じだった。

私の印象は悪くない!という感じだったのだけど、できればもう一つ見てから決めることにした。もう一つは、イタリア人の女の子が一人で住んでいて、ルームメイトを探していた。でもすごく部屋の印象が悪かった!重たくて、冷たくて、孤独な感じ・・・!あと、女の子も、あまり打ち解けない感じで、通訳をしてくれていたジャンカルロによると、「彼女は部屋の掃除のことばっかり話してたよ。つまんないじゃないかな」とのこと。一月370ユーロで、高いし、やっぱり私みたいに留学生で周りが良く分からないときには、最初のアパートの方がよいね、ということで意見が一致した。

ミケレにも電話で伝えたけど、そうだね、ということになって、早速シニョーラに電話して、入居希望を伝えた。彼女は月曜日ぐらいにはもう引っ越して欲しい、ということだったけど、私の予定とジャンカルロの予定を見て、もしかしたら水曜日に引っ越すかもしれない。

その後、ジャンカルロに“ありがとうディナー”をご馳走して、Pontederaに10時ごろ帰ってきた。疲れていたから寝ようと思ったけど、なんか悪寒がするし、お腹も調子が変で、いやだなーと思いつつ、早稲田からピサに交換留学しているもう一人の晃子さんに電話して、明日会うことにした。いろいろ教えてもらおう!

というわけで、イタリア到着1日目が終り。心配していたアパートが見つかって本当によかった。このアパートでの暮らしがスムーズでありますように!

Monday, January 05, 2004

出発

今日出発しました。夜10時のエールフランス便です。
昼間は時間があるからゆっくり準備できる、と思っていたけれど、携帯電話の解約やら和食の買い物やらで忙しくて、結局ばたばたしてしまいました。

空港からお父さんにもお母さん、お兄ちゃん、朋ちゃんに電話したけど、ちょっと泣いちゃいました。ミケレが見送りに来てくれて、出発するのがとても大変でした。二人してすごく泣いてしまって、2月下旬にはまたイタリアで会えるのだけど、本当に辛かった。こんなに辛いとは思っても見なかった。

フライトはエールフランスで、夜行便だったので比較的楽でした。座席も沢山空いていて、横になって寝れました。飛行機の中では、ピサでの生活の不安とか、言葉の不安とか、アパートが見つからなかったらどうしようかとか、いろいろな思いが渦巻いていたんだけど、でもミケレとパウロが励ましのメッセージをmp3ファイルで入れてくれたので、それを聞きながら寝ました。

明日はピサ到着!早く慣れて生活が落ち着くといいな。