Tuesday, November 28, 2006

研究活動など

UGA、前回7月の175g→215g。4ヶ月で40gの増加です。イイネ イイネ
先月、ケースを新築してあげて、アタシタチよりも快適だろ、お前!っていうスペースを独り占めしているUGA。なのに、なぜか排泄が難しくなっちゃったみ たい・・・。ちょっと心配しております。温浴させると、ちゃんとするので、しばらくは週2回、温浴させて、様子見みます。

さて。
ミケちん、先週の神戸デモも 無事終了し、いよいよドク論向かってカン詰め生活に入ってきました。(とか言いつつ、あさってはU2コンサート(笑)!楽しみ~♪)凝り性なので発表用資 料も、アーティスティックな装丁になるんじゃないでしょうか。咳がなかなか止まらないミケちん。発熱しちゃわないよう、気を配ってあげたいなと思ってま す。

私も、今年3本目の論文投稿にギリギリ間に合いました。よかった~。
んー・・・、「今年は3本!」という目標は達成なのですが、後1本書いちゃったほうがよいだろうか。体力があるだろうか。研究モードの波に乗っちゃったほうがいいかなあ。とりあえず、年内で出せそうなジャーナルがあるか調べてみよう。

Tuesday, November 14, 2006

我回来了! Beijing Trip

■万里の長城
Adessoは3度目の万里の長城。今回は、紅葉が溢れるなか、空気が澄み渡り、万里の長城が続く山の峰が遠く遠くまで見渡せて、今までで一番ステキな長城の景色でした!

9 日から13日までの4泊5日、北京に行ってきました!Adessoが昔住んでた懐かしい街、北京。10年ぶり~・・・。ミケちんは中国デビューです。こ の季節はまだ暖かさがギリギリ残る頃で、比較的暖かい上海にしようかな、と思ったのですが、やっぱり北京の方が愛情あり・・・(Ruisuiゴ メン!)。昔の留学先も訪ねてみたかったし、北京の様変わりしたという風景も見たかったし。ミケちんは万里の長城も見たいということで、北京にしました。

■中国語
漢 語はずっと使ってなかったし、ヤバイだろうなあ、と不安だったのだけど、不思議なことに、北京空港についたらポロポロと口から出てくる。比較的若い時に 習得した言語って、根が残っているものなんでしょうか。旅行者レベルでしたが、不自由はありませんでした。あ~よかった!滞在3日目ごろにはイタ語と漢語 が混ざってきて、「Guarda 这个!」とか、「tanto 漂亮!」とか、ミケちんに話しかけてたりしました(笑)。


■経済発展
私 の留学先の学校の後方には、自転車がかろうじて通れるぐらいの、ゴミだらけ埃だらけの、でも活気があった市場通りがありました。も う跡形なく消え去り、二車線の補整道路と高層アパートになって いて、見分けがつきませんでした。私の学校も訪れてみたのですが、写真にあるとおり、レンガを重ねて造られていた校舎は瓦礫の山となり、かろうじて、留学 生寮が 打ち捨てられて残っているのみ・・・。驚きで言葉がでませんでした。通勤時間の自転車大洪水が、北京らしい一風景だったのに、そんな自転車の大群はどこへ やら。いまや車の渋滞でした。若い子の服装がとても洗練されていて、渋谷や表参道のおしゃれな女の子達が闊歩しているような風景。道端のリヤカーの横でお 粥や煎 餅(チエンピン)を口に掻っ込んでいた北京の人たちや、ホッタテ小屋の中のドラム缶で刀削面や拉面をゆでてる風景なんて、一度も見ることができませんでし た。10年前の北京が残っているところと消えてしまったところとの差が激しくて、嬉しいような寂しいような・・・。

■ミケちんと北京
ミ ケが、北京を見て、どう思うかな?っていうのが一番の心配事+関心事でした。超快速で発展を遂げてるとは言え、衛生面ではまだまだ厳しい北京。道に痰を 吐きまくるし、一般トイレは・・・言葉で表現できないぐらいスゴイし、幼児は道で用を足すし。拒絶反応になっちゃったらどうしよう・・・、と心配していた のですが、いえいえ。すごく中国のことが好きになったみたい。今回は、一般家庭を訪ねるツアーにも参加して老北京人と知り合ったり、道で凧揚げやトランプ をしている おじいちゃん達と笑いあったり、東京にはない「ゆったりした」「人懐っこい」北京の人達が、すごく好きになったようです。これが、実際に住んでみるとイラ イラするのだけど(笑)、ミケちん曰く、「イタリアと似てるところが沢山あるね!」だそうです。

今回は、ミケにも見て欲しくて、中国人民 抗日戦争紀念館へも行ってきました。どのような理由付けがあろうとも、戦争は何も産み出さない、何も発展させな い。ただ、荒廃と、悔恨と、悲しみと、深い傷が残るだけ。世界にいる、これから生まれてくるあらゆる子ども達に、幸せな笑い顔を約束するために、リーダー シップを取れるような日本国を作るために、私たちは過去にどのような過ちを犯してしまったのか、何度も何度も認識する必要がある。そして私は、日本人とし て、平和への架け橋の一つになりたい、と、心から願う。