Thursday, January 29, 2004

Henry教授とのミーティング


写真は、私の部屋の窓。見ての通りすごーーーく狭い!けど、私は6畳一間で生活していたからあんまり気にならないんだよね。強いて言えばドアがないのがいやかな、やっぱり。


今 日はProf.ssa Henryとついにお会いできた。とてもいい充実したミーティングを持った。今年1年間のスケジュールと、課題と、コースについて話し合った。通常のイタ リアの大学はクウォーター(4学期)制らしい。でも制アンナはセメスター(2学期)制。私は博士課程の学生なので講義はないのだけれど、できれば授業はと りたかったので、10月から始まる後期から修士課程の講義を聴講するということにして、それまでにある程度のレベルのイタリア語を身に付けることを前期の 課題の一つとした。博士の研究については英語で指導を受けつつ継続することにした。あと、1ヶ月だけという英語で行われるセミナーが5月ごろにあるらしい のでそれは聴講させてもらう。とりあえず最初の講義は、2月の前期3週間だけだけどイタリア語の授業がある。ピサに来てから毎日テキストを使って独学して いたけど、授業があるのはとても嬉しい。来週の月曜日から開始する。

それから、今日の朝、グラツィアがナオこちらにいらっしゃい!と呼ぶ ので行ってみるとすごくリーサに対して怒っていた!リーサは昨日からフィレンツェの友達のところに泊まりに行ってしまっているのだけど、洗濯をやりっぱな しで、しかも操作方法を間違えたのかな?水があふれて洗濯機が前に移動してしまってなどなど、大変だったらしい。水曜日に友達を沢山呼んでディナーをした り、彼氏を泊まらせる事を許可してあげたりなど、マンマグラツィアとしてはいろいろ妥協してあげたのに、その挙句にこれは何・・・!ということで怒りが沸 点に達してしまったみたい。今度から、洗濯機を使うときは私が家にいるときだけにしてね!という。私は洗濯機の使い方が複雑でまだ良く分かっていなかった ので願ったり叶ったりなんだけど、友達を呼ぶのは絶対止めよう・・・!と決意した。2月にミケレが来るけど、その時もホテルを予約した方がいいみたい。 ホームステイのメリット/デメリットだね。

Monday, January 26, 2004

いい感じ


写真はハウスメイトのリーザ。イタリア語の良い先生です。3月にはオースオリアに帰国してしまうのだけどウィーンでもう一度再会しようね!

周 りも落ち着いてきて、なんとなくここでの生活の一日のタイムスケジュールがわかってきた。いつごろまでにお店に食料を買いに行ったほうがいいのか、と か、ランチはいつごろまでに取ったほうがいいのか、など。イタリア語の授業も2月から始まるようだし、今週から研究時間のタイムスケジュールを作っていこ うと思う。

というわけで、今日はまず、朝起きた後、髪の毛を洗って、それから聖アンナへ。コンピュータールームでメールの確認と日記の更 新、それから、ジャンカルロ とミケレとネットで話して、部屋を移らず小さい部屋のままでいる件についてどう思うか聞いてみた。そうしたら二人とも反対!やっぱりお金を出してでも、鍵 付でドアがちゃんとある部屋にいたほうが良い、と言われた。そうだよなあ。と思い直して、やはり3月には大きい部屋へ移ることにした。その後、ミレーナと いうブルガリアからの友達が、私立のイタリア語学校があるから行ってみない?と誘われた。そのときは忙しかったので一緒にいけなかったけれど、すごく興味 があるので今度詳細を聞きに行ってみようかと思う。その後で、クラウディアとランチを取ることにしたけれど、その前に銀行口座を開けに行くのでついてき て、というので一緒にチッタへ出かけた。イタリアは、本当にコネ社会だと思う。留学生が一人で口座を開けたい、と言いに行ったら、本当にいろいろな理由を 付けて断られた!クラウディアはすごく怒って、聖アンナの学生課に相談しに行き、学生課のトップのブズネッリさんが銀行に電話したら「ああ、そうなんです か、誤解があったようですね!来ていただければ直ぐ口座を開きますよ」という。私は、まこんなものでしょ、と笑っていたのだけれど、クラウディアはずっと 怒ってタバコをスパスパ吸っていた。

その後、チューターのガブリエーレとあって、彼の書いた論文のコピーを欲しいと伝えた。イタリア語の 勉強にもなるし、同じルーマンの意識論などを書いてあ るものだから、参考文献としてもいい。後、ヘンリー教授の論文も印刷して、研究用参考文献且つイタリア語文献としても読んでみようと思う。

今 日は疲れたのでプロシュートとズッキーニの炒め物とゆでたサツマイモで終わり。やっぱり自炊ができるようになって野菜が食べれるようになれたのが嬉し い。ゲストハウスの時は、時々夜はヨーグルトだけだったりして本当に栄養が偏りそうだった。今は毎朝ホット牛乳を必ず飲むようにしている。カルシウム大事 だし!

あと、体調が?な点として、実はイタリア到着の初日に気づいたのだけど、後頭部の一部、直径5センチぐらいだと思うんだけど、感覚 がない気がする。その部 分をペンで触っても、頭部の皮膚の触感がない。なんでかな?電話でミケレに言ったら、今まで言わなかったことにすごい怒って、直ぐ病院に行け!だって。 うーん、イタリア語だしなあ・・・。明々後日まで待ってみて、本当にまだ変だったら行ってみようかな。

Sunday, January 25, 2004

アパート問題


写真は晃子さん。いろいろとピサ生活の術を教えてもらっています!6月には直ぐに帰国しちゃうのが残念!

今 日は、昨日の夜遅かったので朝10時に起床。軽い朝食を取ってから、友達たちにポストカードを書いた。その後トマトソースとツナのパスタを作って昼食を 取り、午後は大学へ。日曜日でも大学のコンピュータールームは開いている、と聞いていたので、本当かどうか試したかった。日曜日は殆どのお店が閉まってい るけど、ピサ大の近くのバールが開いていたので、カプチーノを飲んで、聖アンナへ。そこで、メールや文献の検索をしたり、お父さんお母さん、ミケレと話を した。夜はリーザと一緒に食べよう、ということにしていたので夕方7時に帰宅。グラツィア、サイモン、リーザと私の4人そろって夕ご飯を食べた。私に質問 してくることは30-40%ぐらい分かる。でもそれは分かり易い内容のことを話しているからだと思う。

今いる部屋が5畳あるかないかぐら いの小さな部屋で250ユーロで、リーザのいる大きな部屋が300ユーロ、と入る前に言われた。リーザは3月から出てし まうから、もしも大きな部屋に移りたかった可能だよ、とも言われていたので、是非そのようにしようと思っていた。私の部屋は、もともとダイニングだったと ころに仕切りを作って部屋にしたようなところなので、ドアはアコーディングのような取ってつけで、鍵も南京錠だし・・・。それに比べて大きな部屋は元々か らちゃんとした部屋作りだったから、ドアもあるし、庭に面しているし、条件はいいほう。しかも、マンマグラツィアは深夜勤務があって時々よる9時から朝ま で居ないことがある。そんな時リーザが今入るから良いけれど、3月になったら帰ってしまうし、そうしたら家の中でサイモンと二人きりだし・・・。いい人だ けどなんだか気持ちが悪い。そこで、一昨日1月分の部屋代を払う際に、3月からは大きな部屋に移りたいけど、と伝えた。そうしたら、グラツィアが、「もち ろんOKよ。そうしたら1月310ユーロ払ってね」と言う。??なぜ突然月額が変わってしまうのかさっぱり分からないので、最初の説明と違う、という旨を 告げたら、「今年からそうすることになったの」とか何とか。そのほかにもいろいろ言っていたけど、とにかく理由が、私のイタリア語レベルのせいもあってわ からない。「申し訳ないけど、私はなぜかというのが分からないのでジャンカルロに電話してもらうから説明して欲しい」とお願いした。その話し合いの後直 ぐ、ちょっと混乱したのでリーザの部屋までいって、事情を説明し「どういうことなんだと思う?」と聞いたら、直ぐにいやな顔をして「グラツィアがもっとお 金をもらおうとしているだけよ」という。リーザが月幾ら払っているのか聞くと、290ユーロなんだと言う。だから私も290ユーロにして、とは思わないけ れど、なぜこの数日間で値上げがあるのか、そして今後もこんな風に彼女の自由意思で値上げが突然あったりしていたら、生活が難しい。ジャンカルロにも説明 して電話で話してみて欲しい旨を伝えたら、彼女は生活が多分そんなに楽じゃなくて本当にお金が必要な感じがしてたよ、という。ミケレにもどう思うか聞いた けど、やっぱり突然値上げするようなのはおかしいという。そんなこんなでいろいろ考えたけれど、もう大きい部屋に移るのはいいや、と思う。お金も節約でき るしこのまま小さな部屋でいよう。

マンマグラツィアもサイモンもとてもよくしてくれて嫌いじゃないけれど、いざなんか変だなと思ったら直ぐ引っ越しても良いや、というぐらいの気持ちで住んでいたほうがよさそう、というのが今の所の心境。

Saturday, January 24, 2004

ピサでのはじめての週末


写真は、マンマグラツィアとサイモン。両者ともとてもいい人だけど、どこまで信用していいのか、ちょっと??なこともある、というのが実情かな。

今日はとてもいい天気!朝は8時半に起床。朝ごはんを食べてから、リーザとジョギングに行った。彼女は週に2回はジョギングにいくという。すごくいい感じ!東京ではジムに毎週1回通っていたけど、ピサではお金がないから運動はあきらめようかと思っていたから。アルノ川沿いをずっと走って、街の外れにジョギングに最適な公園があった。二人で、彼氏の話とかイタリアでぼられた話(当たり前なので書かなかったけど、既に数回あった)とかをした。帰ってきても体が温かい。来週から週2回は一緒に行こう!と約束した。

その後トマトリゾットを作って、昼食をとり、その後、リーザが駅に行く途中海外に安く電話をかけられるカードがある、というので、それを売っているお店を教えてもらうためにリーザと一緒にチェントロ(中心街)へ行った。ただ、リーザに、今行っても開いてないけどよい?ときかれた。あ、土曜日は開いてないの?と聞くと、なお、そうそう、イタリア時間に慣れるのも大事よ、と言われた。あ!そうか!イタリアの時間、というのは、オフィスもお店もバーやレストランなんかも、午後1時または2時から4時または4時半ぐらいまで閉まっちゃうということ!前イタリアに来たときに、日曜日はショッピングなんてできるお店は一つもない、というのが強い印象に残って覚えていたんだけど、この午後閉店の慣習は忘れていた・・・。

だからと言って、イタリアの人は本当に休みが沢山あってよい、というのとはまったく違うと思う。朝は8時半から開業して午後1時半まで働く。それからゆっくりお昼を食べて、企業だったら午後3時半ごろから6時ぐらいまで、お店は午後4時とか4時半から夕方の7時半から8時まで。結局勤務時間は日本と一緒。お昼をゆっくり食べるのは、多分皆家に帰って食べるからじゃないかと思う。シエスタの慣習の名残でもあるのかな。とにかく、この時間はスーパーも道端の小さいお店も閉まる。その感覚がまだ掴めてなかった。

その後、午後4時半に晃子と待ち合わせをして、オリエンタル食料品店を教えてもらった。本当に小さいお店だけど、サツマイモがあった!すごい!今日道を歩いていたら突然無償に焼き芋が食べたくなっていたから即購入した。その他、醤油、味噌、しいたけ、わさびなどもあったし、あとタイカレーやインドカレー等エスニックなものもあって嬉しかった。その日はそのまま晃子のアパートにお邪魔して、チャーハンと味噌汁を作り、二人でいろいろなことを話して夜の2時に徒歩で帰宅した。その時間外を歩いていても、本当に大丈夫!という感じだった。

Thursday, January 22, 2004

引越し初日


写真はジャンカルロ。お世話になりっぱなしです・・・!

引 越し先はまずまず、という感じ。オーナーはグラツィアさん。マンマグラツィアという感じ!彼女は福祉関係の病院で働いていて、時々深夜のシフトがあって 帰ってこない。彼女の息子がサムソン。彼は30歳で、とてもいい人だと思う。だけど、ちょっとナイーブ過ぎる感じだし、身の回りのことはすべてグラツィア がやっている、というような、ある意味典型的なイタリア母子。サムソンは働いてなくて、最近バイオロジーの学校に通い始めた、という話だった。そしてオー ストリア留学生のリーザ。コンテンポラリーミュージックを専攻している。リーザをは直ぐに友達になれた。彼女にはイタリア語で話してもらって、着いていけ ないところは英語に変えてもらっている。私はなるべくイタリア語で話そうと思うけど、今のレベルでは会話が終了してしまうので英語で。リーザは3月上旬に 帰国してしまうそう。すごく残念!本当は6月まで留学しようかとも思っていたのだけれど、ピサの大学での関係する授業は終ってしまて、しかも、母国のウ イーンでの方の教育のほうがレベルが高いことが分かったらしい。でもやっぱりイタリアに来たことの意義はとても大きくて、あるのとないのでは比べ物になら ない、と言っていた。私もリーザと一緒だなあ思った。期間に囚われずに、吸収できて研究に役に立つことは前向きにどんどん挑戦したい。聖アンナでの1年間 という時間が果たして、足りないかそれともあまるほどなのか、ちゃんと見極めながら、時間とお金を無駄使いしないような留学にしようと思ってここに来たか ら・・・。いずれにせよ、彼女が直ぐに帰国してしまうのは本当に残念。リーザは今大きい部屋を借りていて、私の部屋はとても小さい。しかも通りに面してい て、朝の車道の喧騒がものすごくて6時半時以降ねむれなかった。3月1日から部屋を移してもらうことにした。一月310ユーロ。4万5千円ぐらい。一ヶ月 の奨学金を考えるとちょっと賃貸料が高いけど、しょうがない・・・。

今日は、朝、荷物を開いて、それからPontederaのジャンカル ロに会いに行った。現金だけで生活費を持ってきて、でもまだ銀行口座を空けられないで いるので、この家に引っ越してからスーツケースに入れておくのは不安だから、ジャンカルロの銀行口座にとりあえず貯金させてもらった。イタリアの銀行は、 日本みたいにいつでも預金ができるわけじゃなくて、窓口に行って(イタリア式にゆっくりと手続きが進む)預金する。研究の合間を縫って時間を作ってもらっ た。それから、リーザと3時半に待ち合わせをして、食料品買出しに行った。そこで、聖アンナの近くに、ピサの中でも安めのスーパーを教えてもらった。パス タや米を買い込んで、あー、やっと自炊ができる・・・!今日は米食だ♪と思いつつ帰宅したら、グラツィアさんが夕ご飯作ったから一緒に食べましょう!とい うことになった。豚肉の煮たものお野菜。「家族」の食事はとても美味しかった・・・。

今日はPontedera からのほんの20分しかインターネットに接続できなかったけれど、ミケレがストレスぎりぎりになってきているのが分かる。明日の金曜日が提出日。ミケレの 修士の集大成、そして博士へ続く研究成果が出来上がる。数時間しか寝ていなくて体力的にも精神的にもぎりぎりだろうけど、ずっとずっと応援しているよ!

Wednesday, January 21, 2004

滞在許可書


写真は、先日チェチリアといったピザ。5人でこれを2枚頼んで食べました。私は1切れでダウンしたけど。笑

今日は午後、ヘンリー教授とのお約束があったけれど、お風邪を召したらしくていらっしゃらなかった。そこで、ガブリエーレと一緒にQuestura(警察署)へ、滞在許可書申請に行った。

こ の滞在許可書申請にはいろいろないわく付きで、必要な書類についてもいろんなうわさを聞いていたのだけど、本当に何が必要かは行ってみてからじゃないと 分からなかった。ところが!あっというまに受付をしてもらえた・・・!というのも、今日言ってみたら、偶然、聖アンナの学生担当のモンガソンさんがいて、 他の留学生全員をまとめて面倒見ていた。彼女が、「もし今日、全部書類を持っていたら一緒にやっちゃうわよ!」という。「えー!・・・今日は予約取り付け だけ、ときいていたのに」もっていた書類は(たまたま)パスポートと、受入許可書の原本、ゼネラリの保険のコピーだけ。

急いで写真を撮りに言って、手数料をもって、他の聖アンナの留学生に紛れ込ませてもらった。そして待つこと(ほんの)40分。受付終了で、引換券(リチェブート)をもらえてしまった。本当にびっくり・・・!マニュアルなんて、本当にないのねこの国って。笑

今から引越し。どきどきするなー。

明日は銀行口座を空けに行く。イタリアの生活は、本当にゆっくり。一日に1つか2つの課題ができればそれで終り。スローライフだなあと感じるし、それに慣れてきた私がいる。東京は本当にせかせかしてたね。

ミケレも明後日が提出日。数時間だけの睡眠でがんばっている・・・!がんばれがんばれ!

Tuesday, January 20, 2004

Orientation


写真はディメッゾ橋からアパートの方に向けて取った写真。ピサの略地図で見ると、赤色がアパート。青が聖アンナ。黒がディメッゾ橋。アパートから聖アンナまで2-3キロぐらいかな。

聖 アンナの2004-2005年度博士課程オリエンテーションがあった。そもそも、私は聖アンナの博士課程には入るのではなくて、 VisitingStudentなので扱いがことなるのだけど、でも同じ学科の博士課程の学生と知り合ういいチャンスと思い、参加させてもらった。

行っ てよかった!同じ学科の人だけじゃなくて他学科の方とも知り合い、やっぱりほっとした。キャンパスに行って、顔見たときにチャオ!と一言だけでも交わ せる人がいる、というのは心強い・・・。今はPontederaキャンパスの方により多くの友人がいるけれど、少しづつPisaキャンパスでも知り合いを 増やせたらよいなと思う。

イタリア語が上達するのは、現地の友人をつくるのに本当に必要・・・!みんな流暢に英語を話すけれど、やっぱり友達はイタリア語で!当たり前だよね。イタリア語レッスンは2月ごろから開始できるんじゃないかと思う、という話。早く開設されて欲しい・・・!

明 日は忙しい! 警察署に行って滞在許可書の申請をする、Henry教授とのミーティング、引越し。一番の不安は引越しかな。ジャンカルロが手伝ってくれ るけれど、引越し先での生活がまったく分からないから、どうなることやら・・・。ただ、もうアパートを決めることができた、という旨を伝えたら、なんて幸 運なの~~!!って皆に驚かれた。ついたその日なんて不可能に近かったみたい。普通は2週間かかることもあるらしくて、まずはホテル暮らしが当たり前で非 常に高コストになるらしい。本当にミケレ、ありがとう!出発前に電話して到着当日に見る約束を取り付けて、それから大家さんにも日本から何度か電話してく れて、沢山のサポートのおかげだよ。

Sunday, January 18, 2004

休養


今日は、昨日に続いて休養日。朝、熱は37.2ぐらいまで下がってた。

ずっとベッドにいたから体がなまっちゃって、Pontederaの町をちょっとだけ散歩に行こうかとも思ったけど、ここで羽目をはずしてまた人に迷惑掛けちゃったらまずいし。というわけで一日ベッドで過ごす予定。
このPontederaの聖アンナのゲストハウスに私が泊まれるように手配をしてくれたチェチリアと、本当は今日の夕方寿司屋に行く予定だったけど、彼女に電話をしてキャンセルした。明日一緒にご飯を食べることにした。

やっとシャワーを浴びた!もうすごくリフレッシュした!髪の毛もあらって、あーーーさっぱりした!

と思っていたら、ミケレが電話をくれて、聖アンナキャンパスは今日は日曜日だからだれも中に入れないけど、デリバリーがあるから校門に行って取ってくるように。??なんだろう?とおもったら、バラの花束だった・・・!
ミケレが、早く良くなるように、とWebサイトで注文して送ってくれたんだって!びっくりしたし、本当に嬉しかった・・・!ドライフラワーにしてずっと飾っておこう! (^o^)/

ミ ケレも来週運金曜日提出の修士論文の締め切りに追われて本当に大変な時。そのまま博士に上がるから、修士論文の口頭試問が他の人よりも厳しくて時間も長 くて。私が修士論文を終わらせるためにてんてこ舞いだったとき、ずっと応援して支えてくれて、卒業式にも一緒に来て祝ってくれた。
彼の修士論文に は今度は私がサポートしたくて、できる限り支えてきて、できれば卒業式にも一緒に出てお祝いしたかったけど、それは無理になっちゃった。で も今までそうしてきたように、お互い支えあっていきたいと思う。修士論文提出という大事なときと私の渡伊が丁度重なってしまって、ミケレがすごくすごく辛 いのが分かる。私もピサでがんばるから一緒にがんばろうね。

Saturday, January 17, 2004

発熱~~~?




写真は晃子さんが持ってきてくれた食料!イタリアは日曜日は全て店が閉まっちゃうから、絶対食べ物かっておかないと・・・!

夜は全然熟睡できなかった。時々目が覚めて、しかも気持ちが悪いし。一回おきて、ミケレと話したりしていたけど、やっぱり悪寒がする!なのでまた早々に布団に入って寝た。

晃子さんとの約束が1時だったから、10時半に目覚ましを掛けておきたけど、熱っぽい!どうしよう・・・ @_@;
体温計もないし、薬もないし、SARSだったらどしようとか、食べ物が何にもなくて、どこに買いに行けばいいのかもわからなくて、もうぐるぐるしてとにかくミケレに電話した。
ミ ケレが、すぐに、ミケレのお母さんに電話してくれて、ミケレのお母さんが薬局に電話してくれて適切な薬の名前を調べてくれた。それからミケレがジャンカル ロに電話して事情を説明してくれたんだけど、ジャンカルロはちょっと遠い町にいたのでジャンカルロが彼の友達でPontederaに住んでいるファブリ ツィオに連絡をしてくれて、彼が薬局に薬を買って届けてくれた。
こんなときはどうしようもないし、もう甘えに甘えまくろう!と思って、本当に皆に感謝感謝感謝だった。ファブリツィオさんには薬代を払うといったのだけど、受け取ってもらなかった・・・。

熱 を測ったら37.8度。それから晃子さんに電話して、約束をキャンセルした。彼女とは日本にいたとき数回しかあったことがなかったけど、申し訳ないけど Pontederaまで食べ物を持ってきてもらえないかとお願いした。数時間後に食料を持って晃子さんが来てくれた!ピサに日本人の知人がいることはとて も心強かった!彼女のアパートの同居人の話も面白くて参考になったし、日本にいる彼氏の話でも一緒に盛り上がって、とてもうれしかった。

ミケレが何度も日本から電話をしてくれて、あとミケレのイタリアの友人とかも電話をくれたし、あとお父さんとお母さんとチャットできて元気が出た。ありがとね!

多分、日本での最後の1週間はほとんど寝れなくて、旅の疲れが一気に来たんだと思う。一日ベッドにいて、休養した。熱を出したのも本当に久しぶり。無理をしちゃだめだね、やっぱり!

Friday, January 16, 2004

ピサ到着

ピサに到着しました!パリから乗り換えて、到着したのが朝9時半。ゲートを出たら、私のチューターのガブリエーレが待っていてくれた。
彼を見たとたん、ほっとした・・・! 今回は、生活資金を一番安く上げるために結構な大金を全て現金にして持っていたし、荷物も重くて、ずっと緊張していたみたい。彼はその後すぐにローマへ行かなくては成らなかったので、私が宿泊先のPontederaの町までいけるよう鉄道の切符を買ったりしてくれて、その場で別れた。

Pontederaには、聖アンナ高等研究院の工学系キャンパスがあるところで、今回は特別、1週間だけそこのゲストハウスに滞在させてもらうことになってる。人の縁って不思議で、広瀬先生やミケレの知り合いというところから、早稲田と聖アンナの共同プロジェクトまで、本当にいろいろな縁でピサに数人の知り合いができた。今回もそんな縁からこのPontederaに滞在させてもらえて、次回は私がなにかGiveできるものがあればよいなあと思う。

Pontederaの駅にはジャンカルロが待っていてくれた。ジャンカルロは年末に東京にいて、2回ぐらいあったことがあったから、またほっとした。その日はジャンカルロがずっと面倒をみてくれた。まず、部屋を案内してもらってから、次に、ジャンカルロと彼の研究室の人たちと一緒にお昼ご飯を食べにいった。その後でピサの町へジャンカルロが車で案内してくれて、一緒にアパートも回ってくれた。

日本にいる間にミケレが本当に沢山のアパートに電話をしてくれて、やっと約束を取り付けることができたのがこの2つのアパートだった。

アパートは、2つ見たのだけど、最初に見た方が、イタリア人のおばさんが自分のアパートを学生に貸し出ししていて、海外の留学生をよく受け入れているということだった。今後どうなるのかわからないけど、第一印象はすごくいい感じの人で、イタリアのマンマという感じ!部屋は、光熱費含めて250ユーロだけど、ちょっと狭いし、ドアもあまり良くない。3月になるともう一つの大きめの方の部屋が空くから、そうしたらそちらに移りたいな、という感じだった。

私の印象は悪くない!という感じだったのだけど、できればもう一つ見てから決めることにした。もう一つは、イタリア人の女の子が一人で住んでいて、ルームメイトを探していた。でもすごく部屋の印象が悪かった!重たくて、冷たくて、孤独な感じ・・・!あと、女の子も、あまり打ち解けない感じで、通訳をしてくれていたジャンカルロによると、「彼女は部屋の掃除のことばっかり話してたよ。つまんないじゃないかな」とのこと。一月370ユーロで、高いし、やっぱり私みたいに留学生で周りが良く分からないときには、最初のアパートの方がよいね、ということで意見が一致した。

ミケレにも電話で伝えたけど、そうだね、ということになって、早速シニョーラに電話して、入居希望を伝えた。彼女は月曜日ぐらいにはもう引っ越して欲しい、ということだったけど、私の予定とジャンカルロの予定を見て、もしかしたら水曜日に引っ越すかもしれない。

その後、ジャンカルロに“ありがとうディナー”をご馳走して、Pontederaに10時ごろ帰ってきた。疲れていたから寝ようと思ったけど、なんか悪寒がするし、お腹も調子が変で、いやだなーと思いつつ、早稲田からピサに交換留学しているもう一人の晃子さんに電話して、明日会うことにした。いろいろ教えてもらおう!

というわけで、イタリア到着1日目が終り。心配していたアパートが見つかって本当によかった。このアパートでの暮らしがスムーズでありますように!

Monday, January 05, 2004

出発

今日出発しました。夜10時のエールフランス便です。
昼間は時間があるからゆっくり準備できる、と思っていたけれど、携帯電話の解約やら和食の買い物やらで忙しくて、結局ばたばたしてしまいました。

空港からお父さんにもお母さん、お兄ちゃん、朋ちゃんに電話したけど、ちょっと泣いちゃいました。ミケレが見送りに来てくれて、出発するのがとても大変でした。二人してすごく泣いてしまって、2月下旬にはまたイタリアで会えるのだけど、本当に辛かった。こんなに辛いとは思っても見なかった。

フライトはエールフランスで、夜行便だったので比較的楽でした。座席も沢山空いていて、横になって寝れました。飛行機の中では、ピサでの生活の不安とか、言葉の不安とか、アパートが見つからなかったらどうしようかとか、いろいろな思いが渦巻いていたんだけど、でもミケレとパウロが励ましのメッセージをmp3ファイルで入れてくれたので、それを聞きながら寝ました。

明日はピサ到着!早く慣れて生活が落ち着くといいな。