Thursday, January 24, 2008

Rwanda

1994年にルワンダで起きたジェノサイド(一つの人種・民族・国家などの構成員に対する抹消行為)。計画的大虐殺や民族浄化の意味で、ナチスによるユダヤ人虐殺もジェノサイド。最近、ルワンダのジェノサイドに関する文献を片っ端から読んでいる。この事件に関する映画を数本目にしたからだと思う。

被害者が自分の悲惨な体験を語っている文献は数多くある。読んでいると、その非日常的グロテスクな残虐行為(山刀で生きながらにして滅多切りにされるような)の毒にあてられて、その事実を繰り返し人前で語り、文章化し、世界中のあらゆる言語で出版することにどんな意味があるのか、分からなくなってくる。人間は自分では想像もつかないほどに狂気を帯びることができ、集団意思の前にもろく、そして凶暴となれるのか。いかに「やつら」は非人間的だったか、ということを繰り返し強調することの意味が、分からなくなってくる。「加害者からではなく被害者からの発言だから」、かもしれない。

個々の加害者を探し出し罰することで、被害者は精神的に救済されるのだろうか・・・。わからない。私にはその領域まで踏み込んで答えを出せるような歴史を背負っていない。ルワンダのジェノサイドは、ベルギーによるルワンダの植民地政策の歴史を抜きにして、語ることができない。いかにして歴史的・社会的背景がそのような惨禍を生み出してしまったのか、そして、それを二度と起こさせないためには、どのような防止措置を施さなくてはならないのか、ということを考えることはできる。遠いアフリカの国ルワンダの問題としてではなく、日本に住む私、私の家族、友人を含め、「ヒト」としてどのように生きたいのか、という問題として。産まれてくる子供のためにどのような社会構造を作るのか、という、未来への問題として。

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