Sunday, April 05, 2009

Grazie, Mio Papa' e Manma

昨日は私の実家へ日帰りで帰省。私の両親の退職祝いをしてきました。日帰りで帰っても十分のんびりできる距離なのと、ノエミが成長して遠出が楽になったのが嬉しい。ノエミ、私の実家に帰るといつもすごーくゴキゲン!やっぱり、じいじ、ちゃあちゃん、いとこ達が、皆してノエミ、ノエミと遊んでくれるからかな。

鹿児島からは兄も帰省してくれて、久しぶりに家族みんなが揃った土曜日。お祝い、とは言ってもあまり大したことはできなかったけれど、お父さんとお母さんに、子供3人揃って今までのお礼を言いたい、と言うことはできたから嬉しい。私の両親から学んだことは多々あるけれど、そのうちのひとつが、働くことの意味。家族を養う、ということだけじゃなくて、仕事とは、自分の自己表現の場でもあるということ。現代社会は貨幣と物の対価で成り立つ消費社会となっていて、私たちは労働することで賃金を稼ぐ。この社会構造はいまさらその是非を問うことではないように機能しているけれど、改めてその構造に自分をおいてみたときに、「ただ流されてコマとなるのではなく、自分の目的と意義を常に確かめながら存在せよ」、と私の両親から「言葉ではなくて彼らの生きる姿勢を見させられながら」言われてきた。会社に雇用されようが、お店で販売員となろうが、飲食店の皿洗いをやろうが、ともかく、仕事の中で自分をどうやって表現できるか、ということを視野にいれて日々を過ごすことが、私の人生のあり方を決める。両親への退職祝いのメッセージに「今までありがとう」と書いたけれど、彼らの「労働」人生を見て育ってきた私には、すごく違和感があった。もちろん、私を含めた子供3人を養うために賃金を稼ぐ、ということもあったけれど、それよりも、彼らが働いていたことの意味や目的は、もっと大きな事柄、たとえば、彼らの人生、人間社会のあり方、未来をどう作るか、そういう理想をどう実現するか、ということに動かされていたんじゃないかと思う。少なくとも私はそう見えていた。

ノエミの母となりそして出産後すぐに職場復帰した今、私もノエミのために働く、という思いがあまりない。もちろん、稼がなくちゃ!と思う。ノエミのこれからの教育資金のことも常に考えている。でも、私が自分の仕事を考えるとき、意図的に長期的視野を持とうと努力する。私が今ハイボットでやっていることは、未来につながるかな。ヒトとヒトが作り出す未来をよりよいものにする会社で働いているだろうか。私が働いている姿をノエミに自信を持って見せられるような労働をしているかな。

お父さんお母さん、大学卒業直後から定年まで勤続38年間、本当にお疲れ様でした。これから新しいことが始まるんだね。一緒に余暇を楽しむ、そんな生活を作ってください!


ミケちんの仕事姿。
ノエミはきっと、パパ、カッコイイ!って言うんじゃないかな。笑


ミケちんの仕事場まで自転車でお散歩。
満開の桜とレスキューロボットを楽しんできた週末♪

2 comments:

Massimiliano said...

manma? :-) mamma だよ :-P

Massimiliano said...

PS: パパは本当にカッコイイ :-)

PPS: ママもそんな悪くないけど :-P