Wednesday, November 30, 2005

思い出ぽろぽろ:2

先日晃子と un caffe しました。卒業論文で忙しそう。晃子のことだから絶対修論使えそうなぐらいの書いてるんだろう。 がんばってね♪ 話していて自分の卒論を思い出した。米国留学中に書いたから文献が英語で、訳すのが面倒で英語で論文書いた。最初は国際(比較)政治論だったのが気づいたら半分構築主義社会学理論になっていて、帰国後、論文2つに分けなさいといわれ(卒論を2つに分けるってどんなんだよ笑)、泣く泣く半分削ったんだよなー。思い返すと、私の社会学理論との出会いはアメリカにあったのだわ。

んで晃子に、「これからずっと学術分野での研究職を目指すの?」って聞かれた。んー・・・、よい質問。

目指すのと、職があるかどうかというのと、その兼ね合いなんだろうなあ。うん、目指したいと思っているよ。・・・どこかの会社に就職することは、多分難しくないと思う。奢っているんじゃなくて、そんな高いポジションを目指してないから。でも、計算高く「研究職つくためにこの本読もう、この研究論文書こう」というのはできない。自分が面白くないと何にも書けない。道は前にじゃなくて後にできるってこと?もちろん、生活とか家計とかいう現実認識を持ちながらだけど、自分が面白いことをやっていたら気がついたら後に道が出来上がっていて、自分がとある場所にいた、という風に構えていたい。いや、それって構えることじゃなくて、自然に、今自分をみるとそんな所にいると思う。

晃子の質問は、「なんで学術分野なの?」とも聞こえた。希望する自己実現の在り方と一番近いのが、学術分野にあると思われるからかなあ、と思う。企業で勤務している間に私に生じたことは、私はどんどん考えない人になってたこと。すごく怖かったし、不快だった。過呼吸になっちゃうぐらい。N産、Mソフト、その他の大企業さん相手のプレゼンなんかほいほいとこなして、商談を進めて、他者とのプレゼン競って勝ってる自分がいて、キャリアをどんどんあげれるだろうなあという自負があったけど、でも、だめだと思った。企業と自分の関係が「adesso」じゃなくてもいいひとつの「ネジ」みたいだった。ネジであることがだめなんじゃない。ネジであっても、そこに自分の成功を見出せるんであれば、それは不可侵性な自己実現の場だから。ただ、私はだめだった、とういこと。自分の視野がどんどん狭くなってしまって、世界を見る時間スパンが短くなっていて、そういう自分は、小さいころからこうありたいと希望してた自分じゃない、と思った。

私が思う考える人ってじゃあなんだ?とジムで走りながら自問してみた。
で、思い出ぽろぽろ(←ミケの口癖 笑)。
子供のころから、両親に言われてたのが「あなたはどう思う?」だった。お父さんの口癖って、子供だった私達に父親としての教訓とか注意をするときも「お父さんはそう思う」が締めの言葉だった。世間だけじゃなくて、両親がどう考えているか、も鵜呑みにしないで、自分がどう思うかを考えなさいと一貫していわれてた。次元をひとつ遠くにおいて自分の意見を考える、という習慣ができたんだと思う。自分のことを「私」という位置から一次元離れて見な場所に居る、ということを子供のときから訓練させられてたんだと思う。

高校のころは自分のやりたいことを固定化する、っていうのが怖かった。日本の進学制度って凄く閉鎖的だと思う。ティーンネイジャーに、一生を決めてしまうような大学の専攻を決めさせるのって本当に間違ってると思う。高校3年のときは、受験勉強なんかつまらなくて問題集も学校が指定したもの意外ほとんど買わず、赤本なんて本屋で裏表紙を見るだけで、岩波の現代国際問題というシリーズと、海外文学シリーズを図書館でもくもくと読んでた。で、行き着いたのが、欧米と、他の地域との、経済格差の根底にある社会文化的問題はなんだろう?っていう疑問。それを大学で学びたい、と思ったんだけど、そのためには自分の専門地域を決めなくちゃいけない、ということに気がついた。大学には専攻分野というものがあったから。

欧米研究とアジア研究と、どちらかの専門になる、という決断が下せなかった。どちらも学びたかったし、どちらかを選択することで、もう一方の視野を排除してしまうように思えた。そんな疑問をお父さんに言ったとき。土曜日の朝だったんだけど。「ひとつのことを専門として掘り下げて学ぶと、その対極にあるもう一方も結果として知ることになるんだよ」。当時は冷戦時代だったから、「たとえばソ連の外交政治を学ぶと結果として米国の外交政治にも精通するんだ」。うわーっそっかーっ! 逆説的だけど、丸山真男の「日本の文化や伝統を理解してこそ、真の国際人である」 ってことか!と開眼。自分がなんであるかを理解することが、他者理解につながるんだ!という発見。自分が前に進めた瞬間だった。

故丸山真男教授は「自分を超えたものに奉仕するのが知識人の義務」と学生に説いたという。自分を超えたもの。奉仕するということ。知識人ってだれか。それぞれの言葉の意味を考えつつ、奮起材として時々心に浮かぶ言葉です。

No comments: