ロボットの学会で神戸に行ってきました。神戸は初めてで、大きすぎずごみごみしすぎず、山と海に囲まれて、とても素敵な街だったと思います。何より、「北 野町」があったこと!「北野通り」「キタノホテル」「北野クラブ」「北野ガーデン」・・・。ふふふー。写真一杯取っちゃいました。
今回一番心に残ったのは「人と防災未来センター」。阪神大震災の記憶を風化させないために、個人がもつ記録を個人ではなくて公共のものとして残す試みです。興味深いと思ったことが幾つかあります。
1)原爆やアウシュビッツといった戦争の爪あととは違う、大地震の災害を記録に残すという意味
「あ の時を忘れない」「あの一瞬を忘れない」・・・なんかドラマティックになりすぎてしまうのは、このセンターが発信したいメッセージの伝わり方が誤った 方向に行ってしまう危うさを秘めてると思います。ビデオが2本上映されていましたが、言い方をきつくすると被災の全体像ではなくて、ある人の劇的な「死」 のみに焦点を当てた「涙を誘う」ドキュメンタリーになってしまっていたように感じました。地震。地球が生まれてから今までずっと続いてきたものです。阪神 大震災が初めてでもなかったし、最後でもない。都市型地震という意味にしても、ロスなど 他の国でもすでに起きたことがあるものです。だからこそ、どのように記録に残すのか、という「伝え方」の方向性は、この試みが成功する上での鍵だと思う。
2) あの大震災があった時、大学生でした。中国に出発する2-3週間前だった。友達が何人かボランティアに行って、私も行くつもりだったのが留学準備で時 間が取れなかったことを思い出した。このセンターも、ボランティアの存在がいかに被災者の心の支えになったかを多く伝えていた。人と人がかかわりを持とう とすることは、受身ではなくて能動的である必要があり、そこから社会が生まれてくる。問題も生まれ、それに対する解決も生まれる。
3) レスキュー活動の一部をロボットで対応しようとする試みはロボット研究の 大きな一部を占めていて、ミケの研究はまさにその中心を占めているんだけれど、研 究から実用に行くにはまだまだ大きな壁があると思う。それはきっと「人命」がかかわってくるからなんだろう。人間の身体が持つ機敏性・自由度・自由意志の 判断力。どこまでを機械に依存できるか、これは社会倫理の域に入る。産業や工業の場ではなく、一般社会の中にロボットが介入してくること、エンターテイメ ントや教育の場ではなくて日常生活にかかわってくること。人間の日常生活活動(労働)を担うこと。ある意味、洗濯機や自動車の存在は昔考えられなかったこ とがいまや機械化されているわけだけれど、コミュニケーションを必要とする場に「機械」が介入することを、ロボット研究者が話し合っていくのか、とても興 味深い。
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