Sunday, February 27, 2005

多元化

昨日の朝日新聞に載った記事;難民不認定処分を受けたクルド人の男性、ドガン・エルダルさんの件。

http://www.asahi.com/national/update/0225/041.html

読んでいて涙が出た・・・!私の国はなんてお粗末な制度を持っている国なんだろう。経済的に先進国であっても、人権理解においてなんて未熟なんだろう。海 外に行って私が日本人であることを恥ずかしいと思わせる制度なんだろう。人権、ヒューマニティ、個人、人間。それらは国という組織の制度の維持の基盤にあ るものであり、組織維持のために反対に排斥されてはならない!資本主義社会における合理主義な思考が企業の経済利益追求活動において人権問題と葛藤の元に なるであろうことは否めないと思う。でも国の「あり方」は、国がまずありきではなくて、「人」がまずありきなのであって、日本の難民認定制度は、より単純 で単色で単一であればより統治しやすいという視点からの制度にしか見えない!

近代世界の特徴の一つは多元化にあるのは明らかであって、それは負の軌跡ではなく、そして日本が世界の未来において、日本人であることを私達が誇りに思え るようなリーダーシップを発揮できる国になるためには、私達の国が、日本人の人権だけじゃなくて人類の人権を考える制度を持つ国にならなくちゃならない。 多元性が持つ負の結果に着目するのは間違っている。

「難民認定申請の後、法務省職員が難民申請者の出身地の生活実態を調査するためにトルコを訪れた際、同国政府にドガンさんら申請者の名前など個人情報を漏 らしていたことが明らかになっている。」 ・・・・絶句。なんて恥ずべき行為なんだろう。「母国政府と情報を共有することは、申請者や家族をさらなる迫害 の危険にさらす行為」であることは明らかじゃないか!

「判決は「原告はトルコ政府がテロ組織とみている反政府組織の支援者の疑いが強い。帰国して取り調べを受けたとしても、それは組織との関連を疑われてもや むを得ない事情があるからだ」と述べた。」そして彼が母国政府から拷問・迫害を受けてもそれは彼のせいだというのか?その前に、母国政府と情報を共有し あっておいてそういう判決をくだすのか?言論の自由は?身体の不可侵は?個人の存在意味は?

南アフリカがアパルトヘイト政策を取っていた時期、日本政府は他国のアパルトヘイト政策に反対した経済制裁に同調しなかった。間接的に、私達日本人は人種 差別を行っていたんだ。アパルトヘイト政策に加担したんだ。こうした政策を採った日本政府を私達の代表として認めたのだから。そして今、また、人権侵害を 私達は認めてるんだ。しかも、人権を守るべき法の立場からそれを行ってる。

こんなときはいつも浅井先生の言葉を思い出す。 「民主主義政治において個人の力は微力で、一人の発言では社会が全く前に進んでいないように見える。けれ どだからと言って表現することを止めてしまったら、その時に本当に何も前に進まなくなる。民主主義政治が面倒くさいのは事実であって、だからこそ個人の発 言を止めてはならない。」

でも、でも!私はなんて無力なんだ・・・、そう思うといつも涙が出る。打ちのめされる。私ができることがあまりにも小さくて悔しくてもどかしい。私は未来の社会のために未来の世界のために何もしてない・・・。

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